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鳥居 清倍(とりい きよます、元禄7年(1694年)? - 正徳6年(1716年)?)は、江戸時代初期の浮世絵師。生年は元禄5年(1692年)ともいわれる。なお、鳥居画系譜稿は元禄4年(1691年)としている。
鳥居派代表浮世絵師。鳥居派の祖といわれる鳥居清信の長男とも弟とも言われているが確証する史料はない。通称は庄二郎。あまり詳しいことがわかっていないが宝永7年(1710年)頃から享保3年(1718年)頃にかけて活躍したと思われ、主要な作品は正徳時代に多く作品が集中している。
主に、丹絵、漆絵で役者絵、美人画の他、花鳥画、武者絵、七福神などを描いている。強い清信の画風を完成させる一方、艶麗柔軟な作品も残している。
例えば、「日本嬋娟画」と肩書きをつけて女形の作品など新しい境地を開拓しつつあった。鳥居派の代表的な画法「ひょうたん足みみず描き(瓢箪足蚯蚓描)」を大成したともされ、代表作には「市川團十郎の竹抜き五郎」「草摺引」「市川團十郎の暫」「市川團十郎・山中平九郎の象引」等が挙げられる。
清倍は肉筆画も手がけており、肉筆美人画では、宝永-正徳期の作品「見立紫式部図」(出光美術館所蔵)が良く知られている。墓所は豊島区の染井墓地。法名は一山道無宗林日浄信士。忌日は5月25日。没年は享保3年ともいわれる。
鳥居清倍 (2代目)(1706年(宝永3年) - 1763年12月6日(宝暦13年11月2日))は、清信の女婿が継いだ。