勝川春潮

(かつかわ しゅんちょう)

勝川 春潮(かつかわ しゅんちょう、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。文政4年(1821年)以降に死去。

来歴

勝川春章の門人。姓は不詳、名は吉左衛門。勝川を称し、安永-寛政年間(1772年-1801年)に活躍した。雄芝堂・紫園・東紫園・中林舎・吉左堂と号している。

役者絵の春章門下であったが、主に、鳥居清長風ののびのびとした紅嫌いによる優艶な美人画を描き、柱絵、三枚続に力作を残した。

高島屋おひさなど市中の高名な美人を描く一方、三枚続の群像の代表作として、天明(1781年‐1789年)期の「飛鳥山花見」(浮世絵太田記念美術館所蔵)、「田圃道の遊山」、「夕立雨宿り」などなど、天明から寛政期にかけてゆったりとした美人画を残している。

天明後期の頃になると、まるで清長と見紛うばかりのあでやかな美人画を多数描いて、その人気を清長と二分した。柱絵にも優れた作品があり、行水図にも「あぶな絵」では無く裸体描写で芳醇な香りが見られる。文才もあったようで、後に、画業を捨てて、窪俊満の門人となって、吉左堂俊潮(俊朝)と称し、狂句狂文を書いた。

肉筆画は、寡作であったが、同じく天明期の「蛍狩美人図」(出光美術館所蔵)や、同門の勝川春常と合作した「遊君禿図・歌妓と仲居図」(ニューオータニ美術館所蔵)などは、良く知られている。この作品で、二人とも落款の他、花押を捺している。

春章の門人二人が、江戸の女性風俗を競作した内容で、春潮は桜咲く吉原仲之町でお揃いの着物を着た禿を引連れた花魁道中を描き、春常は柳の葉の繁る夏の夜道を行く芸者と三味線箱と提灯を手にした仲居を描いている。

寛政2-3年(1790年-1791年)頃、喜多川歌麿による美人大首絵が現れると、大衆の好みは大首絵の方へ移っていき、春潮は浮世絵師を辞めた様で、遺品が残されていない。

作品

  • 「蛍狩美人図」絹本着色 出光美術館所蔵
  • 「遊君禿図・歌妓と仲居図」双幅(春常と合作)絹本着色 ニューオータニ美術館所蔵
  • 「喫煙若衆図」絹本著色 板橋区立美術館所
  • 「吉原仲の町図」絹本着色 大英博物館所蔵

勝川春潮の作品所蔵美術館