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酔夢亭 蕉鹿(すいむてい しょうろく、安永8年6月12日(1779年7月25日) - 弘化2年9月12日(1845年10月12日))は、江戸時代後期の浮世絵師。
蕉鹿は、鳥文斎栄之の門人。姓は高尾。通称は栄之丞、名は信保。酔夢亭、葆巷斎と号す。安永8年(1779年)、木挽町(現・中央区銀座)築地に、800石取りの旗本として生まれた。
初めは、小普請組・溝口相模守支配に属し、寛政11年(1799年)4月、父・信興が没すると、家督を継ぎ、文化4年(1807年)、大番まで進んでいる。文化5年(1808年)、神田一ツ橋通り小川町水道橋に転居した。
文化(1804年-1818年)期には隠居し、狂歌及び肉筆浮世絵の制作に専念した。狂歌は大田南畝に学び、寛政・文化期に、鳥文斎栄之風の肉筆浮世絵を多く描いた。特に、文化期の作品に優品が多く見られる。
栄之の傍にいて、その作品に触れる機会があったと思われ、栄之の作品と同工の作品も多い。また、大田南畝による画賛が見られる場合が多数存在する。画風は、栄之の作品と比べると、顔付きがよりはっきりとした美人画を描いている。享年67。墓所は、新宿区河田町の月桂寺である。