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式亭 三馬(しきてい さんば、安永5年(1776年) - 文政5年閏1月6日(1822年2月27日))は、江戸時代(19世紀)に活躍した戯作者、浮世絵師である。本名は菊地(池)久徳。通称西宮太助。字は泰輔。別号は四季山人・本町庵・遊戯堂。
父の茂兵衛は八丈島出身で、江戸浅草の版木師であった。三馬は戯作者の元祖といわれる平賀源内に憧れ、当時の人気戯作者・山東京伝に多大な影響を受けていたという。三馬の子息も戯作者となり、式亭小三馬を名乗った。三馬は無類の酒好きで勇み肌の人物だったと伝えられている。
9歳のとき書肆に奉公に出、寛政6年(1794年)、19歳で黄表紙「天道浮世出星操(てんどううきよのでづかい)」「人間一心覗替操(にんげんいっしんのぞきからくり)」を発表したが、寛政11年(1799年)「侠太平記向鉢巻(きゃんたいへいきむこうはちまき)」を発表したところ、モデルにされた火消し人足とトラブルをおこし、その結果手鎖の処分を受けた。
売薬店を営む一方で、洒落本「辰巳婦言」「船頭深話」も手がけるが、三馬の本質は合巻や滑稽本にあり、「雷太郎強悪物語」は合巻のさきがけとなった。
寛政11年(1799年)、歌舞伎役者の評判を記した。『俳優細見』を刊行。三馬は歌舞伎通であったといわれている。この頃、三馬は歌舞伎界の取材を盛んにおこなっていたという。
落語好きといわれた三馬には、落語の歴史を記した『落語会刷画帖』という作品がある。登場人物の行動や言葉を写実的に記した代表作『浮世風呂』も落語をヒントにして書かれている。
また、八文字屋本風の滑稽本「酩酊気質(なまえいかたぎ)」は生酔いを描写して新境地を開き、庶民の社交場である風呂屋や床屋での会話を描写した「浮世風呂」「浮世床」などで、幕政改革に伴う筆禍を時代を生きる戯作者のひとつの方向性を示した。これらの作品には江戸弁を表記するための工夫がなされ、国語学的にも貴重なものとされている。
他作品「四十八癖」癖を誇張したものもある。
享和2年(1802年)、草双紙の変遷を記した黄表紙『稗史億説年代記』を刊行。その中の「倭画巧名尽」で、三馬は東洲斎写楽を孤島(どの流派にも属さない絵師)として描いている。これは謎の絵師・写楽の探求のための重要な資料のひとつになっている。
また三馬は、当時、写本として伝えられていた浮世絵師列伝である『浮世絵類考』に「写楽は江戸八丁堀の住人」という記録を初めて書き加えた人物とされている。「倭画巧名尽」の記述により、三馬は写楽と親交があったとの説もある。三馬自身もかなりの絵心があったといわれている。
三馬の肉筆浮世絵として、立てた三味線を持つ大島田の芸妓が、片膝を立てて振向いている様子を描き、自画賛を入れた「三味線を持つ芸妓図」が知られる。