喜多川秀麿

(きたがわ ひでまろ)

喜多川 秀麿(きたがわ ひでまろ、生没年不詳)は、江戸時代の浮世絵師。

来歴

喜多川歌麿の門人。下谷柳稲荷社前に住んでいた。主に、享和から文化初期にかけて、黄表紙の挿絵、錦絵、肉筆美人画を描いた。錦絵では「砧打ち」が知られているが、同門の喜多川月麿と比べると作画量は極めて少なく、黄表紙の挿絵も享和3年(1803年)刊行の『臍沸西遊記(へそがわかすさゆものがたり)』1点に限られる。

秀麿の肉筆画は、錦絵以上に少ないと思われ、「三味線持つ美人図」はその希少な作品の一つで、黒い絽の衣装を身に纏い、三味線と撥を手に持つ芸妓を描いているが、この図の美人の容貌、落款の書体は享和期以降の秀麿の錦絵とは異なっており、芸妓の鬢の発達した髪型なども考慮すると、相当早い時期の寛政後期頃のものと考えられる。

作品

  • 「三味線持つ美人図」 絹本着色 東京国立博物館所蔵
  • 「絃妓図」紙本着色 奈良県立美術館所蔵 何耕賛

喜多川秀麿の作品所蔵美術館