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杉村 治兵衛(すぎむら じへえ、生没年不詳)は、菱川師宣とほぼ同じ時期に活躍した、江戸時代の代表的浮世絵師。
名は正高。別名次兵衛、次平、治信など。赤穂浪士村松秀直の養父の甥という。住所は江戸の通油町とされる。作画期は、延宝9年(1681年)-元禄10年(1697年)で、浮世草子、絵本、秘画などを描き、作画量は師宣に匹敵する。
師宣と時代を同じくし、画風はよく似ているが、師宣と比べて柔らかみがみられる。無落款の作品はよく師宣と間違えられる。
師宣に先立って墨摺絵本を刊行したともいわれ、複数枚からなる組物でない一枚で完結する一枚摺は治兵衛に始まると目される。いずれにしても、浮世絵創成期における重要な絵師である。
貴重な肉筆浮世絵「立姿美人図」には、井上和雄氏の箱書きがあって治兵衛の作品であると比定している。そこに描写された女性の容貌は通常知られている治兵衛のものよりも丸みを帯びて面長である。なお、印文不明の朱文重郭方印1個が捺されている。
伝記については全く知られておらず系統、生没年月など一切不明で、また現存する作品も少ない。そのほとんどが落款の書き記されていないものである。但し、女性の衣装の模様などに、「杉」という文字が、隠し落款として入っている場合は、彼の作品であることが判りやすい。量感ある人物描写が特徴である。「小式部内侍」、「獅子舞」が、重要美術品になっている。
作品に見立浄瑠璃十二段(東京国立博物館蔵)など。