振鷺亭

(しんろてい)

振鷺亭(しんろてい、生年不明 - 文政2年11月23日(1820年1月8日))は、江戸時代中期の戯作者、浮世絵師。

来歴

鳥居清長の門人。姓は猪刈または猪苅、名は貞居。俗称は与兵衛。振鷺亭主人、浜町亭、関東米、丁子匂人、金龍山下隠士など多くの別号を用いている。江戸本船町の家主の家に生まれ、富裕な家であったといわれる。

遊蕩で家産を使い果たし、川崎大師河原で手習い(習字)の指南をしながら、戯作をよくし、その傍ら浮世絵を描いた。その実生活については殆ど不明である。

戯作活動は寛政元年(1789年)から文化(1804年 - 1818年)間で、初めは洒落本作者として顕れた。その後、中本型読本に新機軸を開く一方、咄本や滑稽本、読本などに活躍した。一時期戯作を中断していたが、文化15年(1818年)頃には再度合巻や滑稽本で活動する。

寛政の改革で主要な前期戯作者が退場した折、その空隙を埋める作者として、一通りの漢学の素養を示す作品を多く提供して、後期戯作者へのつなぎ役を果たすとともに、中本型読本や滑稽本の分野でも、何かと新趣向を試みていて、一癖ある戯作者であったといえる。

文化13年(1816年)刊行の『実語教童子教証註』1冊などといった真面目な著述もある。晩年は落魄して川崎大師河原で手習いの指南の暮らしであったが、文政2年(1819年)、大酔して堰に落ちて水死したと伝えられる。

寛政年間の洒落本『翁曾我』1冊、『見通三世相』1冊、寛政6年刊行の読本『いろは酔故伝』1冊、享和年間の洒落本『意妓の口』1冊、文政6年(1823年)刊行の咄本『振鷺亭噺日記』1冊(寛政3年序)などが知られており、以上の作品は全て自画作であった。

為永春水が、振鷺亭2世を継いだが、僅かな期間であった様で著作は見当たらない。

振鷺亭の作品所蔵美術館