硯寿堂

(けんじゅどう)

硯寿堂(けんじゅどう、生没年不詳)は、江戸時代の浮世絵師。

来歴

明石藩の藩士、津田景彦と同一人とされる。天保5年(1834年)5月刊行の読本『山崎物語』の作者、津田景彦が、硯寿堂と号していることが知られている。津田景彦は、明石藩士で、和文を能くしたといわれている。

景彦の生没年は不詳であるが、嘉永2年(1849年)刊行(明治14年まで加筆あり)の伝記本『事実文編』によると、儒者で、明石藩侍医であった景彦の弟・逸斎が天明7年(1787年)生まれで、嘉永元年(1848年)に62歳で没していることから、景彦のおよその活動時期も推測できる。

「桜下美人図」は、寛政(1789年-1801年)頃の作品で、満開の桜の枝の下、美しい女性が腰を突き出し、上半身を反らせ、大げさな仕草で午後の道を歩いている姿を描いている。女性の腕にかかった帯に、扇と桜の柄が描かれており、恐らく、寛政年間の最も著名な美人、老舗扇屋の人気遊女・花扇に見立てているようである。

この女性の髪形、全体的な画風も、寛政期のものと一致している。また、褪色して辛うじて見える水草はもともと底の縁から上に伸びて鯉を取り囲んでいたのだが、構図の妙によって、道行に描かれた大きな鯉が空を跳ねているようにも見える。その作風からは、歌川豊国を学んでいることが窺えて、津田景彦の活動期と全く矛盾しない。

作品

  • 「桜下美人図」 絹本着色 インディアナポリス美術館所蔵

硯寿堂の作品所蔵美術館