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歌舞伎堂 艶鏡(かぶきどう えんきょう、寛延2年(1749年)‐享和3(1803年)年9月20日)は、江戸時代の浮世絵師である。「歌舞妓堂」とも記される。
艶鏡は、歌舞伎狂言作者の二代目中村重助であるという。もし、それが事実であれば、寛延2年生まれ、享和3年9月20日、55歳で死去したことになる。
中村重助は寛政6年頃まで役者として舞台に立っていたらしく、その後役者番付に見えないから、歌舞伎堂艶鏡の作画年代の寛政7年から8年のころと一致する。
寛政7年秋から翌年にかけて、東洲斎写楽の直後に出て、写楽とよく似た役者絵を描いた。作品は、「三代市川八百蔵の梅王丸」(浮世絵太田記念美術館所蔵)、「初代市川男女蔵」、重要美術品「二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉」(以上、平木浮世絵美術館 UKIYO-e TOKYO所蔵)、「初代中山富三郎」(シカゴ美術館所蔵)など、役者絵7点が知られるのみである。
しかし、写楽ほどの極端な性格描写はせず、温和で、いくらか美的感覚中心であるといえる。その版画には印章、版元、商標など全くなく、経歴は拠るべきものは無く、「浮世絵類考」では、役者似顔を描いたが、拙劣であったため半年ほどで世に行われなかったという。
一説に、写楽と同一人物であるという。(ユリウス・クルトの説)