全国の美術館の情報や絵画・彫刻・アートなど芸術作品と画家・作家の紹介
歌川 国長(うたがわ くになが、寛政2年(1790年) - 文政12年7月18日(1829年8月17日))は、江戸時代後期の浮世絵師。
初代歌川豊国の門人。俗称は梅干之助(かやのすけ)。一雲斎と号す。江戸の人で新橋金六町に住んだ。
文化3年(1806年)頃から作画をしており、立版古の切組絵を得意とした他、役者絵、美人画や外国風景の浮絵も手がけている。舞踊三絃をよくし、幇間に似たことをしたといわれる。
「新板阿蘭陀浮絵阨日多国尖形高台」ではピラミッドを描き、また「新板阿蘭陀浮絵亜細亜洲巴必鸞城(はひらんじょう)」ではバビロン城を描いており、歌川国虎の作品と並んで異色の作品である。
また、文化3年(1806年)刊行の十返舎一九作の黄表紙『玉櫛笥二人奴(たまくしげふたりやっこ)』3巻を初めとして若干の草双紙の挿絵も描いている。
国長は肉筆画にも手腕を発揮し、実際の人間よりも遥かに大きい6尺(約2m)にも余る大美人を描いており、それをよく書きこなした力は称揚すべきである。没年は文政10年(1827年)ともいわれる。享年40。