鳥居清満

(とりい きよみつ)

初代 鳥居 清満(とりい きよみつ、 享保20年(1735年) - 天明5年4月3日(1785年5月11日)は、江戸時代初期の鳥居派で活躍した浮世絵師。鳥居派3代目当主。

来歴

鳥居清倍 (2代目)の次男で門下といわれる。俗称を米三、亀治または亀次郎。鳥居派の伝統的な画法を遵守。宝暦時代の後期から明和期に鳥居派で活躍、役者絵、美人画を描いた。

黒本、黄表紙など草双紙の挿絵、番付絵、芝居看板絵等の作品が多い。四色以上の色を用いた多色の一枚絵も残す。また、肉筆浮世絵にも才を広げている。

紅摺絵に秀作が見られるが、殊に大々判の「百人一首」の女性群像などが良く、その力量が窺える。あぶな絵には清楚なエロティシズムが溢れていて頽廃的なところが無いため、見るべきものが多い。絵看板においても新機軸を出した。

享年51。墓所は豊島区の染井墓地。法名は広善院要道日達信士。

鳥居家歴代中で鳥居清広、鳥居清長、鳥居清経、鳥居清秀、鳥居清久、鳥居清近など最も多くの門人も育てており、鳥居家の隆盛時を作った。後「清満」の名は3代続いた。

2代目以降

2代目(天明7年(1787年) - 明治元年11月21日(1869年1月3日))初代鳥居清満の孫。江戸の人。鳥居清長の門弟。通称は庄之助、亀次。別号に青竜軒。初名を初代鳥居清峰。初代没後文化12年には2代目を相続。草双紙の挿絵、美人画を多く残す。清満時代は歌舞伎の看板絵、番付絵が多く現存する。鳥居派5代目当主。

3代目(天保3年12月14日(1833年2月3日) - 明治25年(1892年)8月19日)2代目の長男。江戸の人。通称は亀治、栄蔵。初名を鳥居清芳。父に習い、明治元年に3代目を相続し鳥居家6代目家元となる、歌舞伎の看板絵、番付絵を描いた。

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