石田玉山

(いしだ ぎょくざん)

石田 玉山(いしだ ぎょくざん、生年不明 - 文化9年(1812年)?)は、江戸時代後期の大坂の浮世絵師、挿絵画家。

来歴

岡田玉山の門人。大坂に生まれる。姓は石田、名は修徳。始め石峰、後に玉峰、蓼華斎、蓼華、揚輝斎と号す。字は子秀。岡田玉山に師事し、師名を受け、玉山を名乗る。法橋に叙せられた。主として文化(1804年 - 1818年)年間の読本に秀作を残している。細密画では師より優れていた。文化末年頃、江戸に移住し、神田紺屋町に住んでいたといわれる。

作品として文化7年(1810年)刊行の『葦牙(あしかび)草紙』8冊(鉄格子波丸作)、同文化7年刊行の『長柄長者黄鳥墳(ながらのちょうじゃうぐいすづか)』6冊(栗杖亭鬼卵作)などの挿絵が挙げられる。

また、文化8年(1811年)刊行の『絵本更科草紙』(栗杖亭鬼卵作)では全3編15冊のうち、前後編の挿絵を担当し、文政4年(1821年)に刊行された第3編の挿絵は一峰斎馬円が担当している。ある日、家を出たまま、遂に戻らなかったという。一説に文化9年(1812年)死去という。享年未詳。

石田玉山の作品所蔵美術館