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西川 祐尹(にしかわ すけただ、宝永3年(1706年) - 宝暦8年8月25日(1758年9月26日)?)は、江戸時代中期の京都の浮世絵師。
西川祐信の長男。通称は祐蔵。得祐斎と号す。京都の人。父・祐信に絵を学び、肉筆美人画、絵本を多く描いた。「男舞図」のなかに「西川弐代」の印が見られるように、全く父の画風に倣い、父を超えず、父の没後8年にして、父の後を追うように53歳でこの世を去ったといわれる。
絵本では、宝暦2年(1752年)刊行の『絵本八重桜』、宝暦2年(1752年)-宝暦3年(1753年)刊行の『絵本鏡百首』2編6冊、宝暦3年刊行の『絵本みつの友』、宝暦4年(1754年)刊行の『絵本面美花(かおよはな)』などが挙げられる。 また、没年については、宝暦12年(1762年)とする説や、あるいは明和9年(1772年)まで存命していたとする説もある。