全国の美術館の情報や絵画・彫刻・アートなど芸術作品と画家・作家の紹介
祇園 井特(ぎおん せいとく、宝暦5年(1755年)-文化12年(1815年)以降)は、江戸時代の京都の浮世絵師。
師系不詳。姓不詳。俗称・特右衛門。字・伯立。祇山井特、画奴井特、鴨井井特などと号す。京都・祇園町南側で井筒屋という青楼を経営し、淫薬、淫具を商って渡世を送った。
寛政から文政期にかけて円山派の画風を私淑し、京都独特の艶麗さとアクのある作風をもって特異な肉筆美人画を多く描いた。円山派の絵師で美人画を多く描いた山口素絢に絵画を学んだともいわれる。特に大首絵による美人図は強烈な迫真性をもち、名状し難いリアルな雰囲気をもつものである。
肉筆の美人画で大首絵を描くこと自体が稀有であるが、理想化された美人イメージを描き出す浮世絵美人画としては珍しく女性の個性が描き分けられており、時にモデルの容貌の欠点をも容赦なく描写するのが井特画の特徴である。1点のみ、版本の挿絵があるといわれる。
「虎御前と十郎図」は、相模国大磯の遊女、虎御前と、馴染みの客、曽我十郎を描いたもので、虎御前は、十郎が仇討ちの折に討たれたため、19歳で、尼になったといわれる。これは、見立絵であるとされる。
また、この絵の縁の上部に、「奉納」とあり、裏面には、「海上安全子孫繁栄 家門之磯光分 万世船霊神社 于時享和二壬年七月十七日 小野氏 敬白」とあることから、上方の商人が盛岡付近の神社に奉納した絵馬であったと考えられる。