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宮川 長亀(みやがわ ちょうき、生没年不詳)は、江戸時代の浮世絵師。
宮川長春の門人。姓名不詳。享保-寛延(1716年-1751年)期に、長春と同様に、肉筆美人画のみを描いた。同門の春水よりは個性がおとなしく、師である長春の画風を踏襲しているが、長春を一回り小さくしたといえる作品を残している。今日残されている作品は、享保期の様式を具えた遊里風俗画が大半を占め、賦彩は丁寧かつ細密である。
長亀は、同工の「吉原格子先の図」を数点描いており、例えば、MOA美術館所蔵の作品と浮世絵太田記念美術館所蔵の作品を比較すると、暖簾の紋章、相談する三人の武士の衣装・姿態、遊女と禿の道中まで同一であるが、浮世絵太田記念美術館所蔵のものでは、店先の卵売りが消えていたり、禿が文を渡す相手が遊女から客に変わり、正面の武士の被り物が焙烙頭巾から編み笠に、供を連れた若衆は小姓を連れた大尽風の客に、遣い手が長柄傘を差し出す若者に変わっていたりする。
また、格子先から、行灯や煙草盆がなくなっている。長亀は、こういった幾つかの自分なりのパターン(基本形式)をもっており、よほど特別な注文でなければ、そのパターンの変形という形で、作品を量産していたと考えられる。
この「吉原格子先の図」が、師である長春 の吉原図巻などを元に描かれたであろうことは、ほぼ間違いないと想像でき、さらに、長春による吉原図が、師宣の吉原図を土台にしていることから、ここに、師宣-長春-長亀という様に、一つの画題の連続的展開が見て取れる。
但し、遊女屋(局見世)を画面左上に斜めに配置し、右下に路上の人々を置くという構成は、長亀の工夫による可能性が高い。こうした構図にすることで、左側への連続性が絶たれ、画巻の一部を切取ったような印象は払拭されて、完結した一つの廓内の一場面となるのである。