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梅翁軒 永春(ばいおうけん えいしゅん、生没年不詳)は、江戸時代初期の浮世絵師。
姓は長谷川。名は春信。梅翁軒、梅峯軒、永春、後、正徳頃に竹田春信、光春とも号す。懐月堂派とされているが、作風は、より描線が弱く、独立の絵師であると考えられる。江戸の人。宝永(1704年-1711年)から宝暦(1751年-1764年)頃、肉筆浮世絵を得意とし、美人画を描いた。落款の上に「日本画」と冠している。
宝永元年(1704年)から翌年の春にかけて成立された「江戸十二月年中行事絵巻」(紙本着色 2巻)を残していることから、元禄後期には既に画業を始めていたと考えられている。
また、三幅対の「三俳優図」(『浮世絵大成』第2巻 第243図)には、立役、若女形、若衆方が描かれており、絵を手がかりに考証すれば、立役は中村七三郎、若女形は津川半太夫、若衆方は中村大蔵となり、この考証が正しいものであればこの作品は元禄13-14年(1700-1701年)に作画されたものと推定でき、永春の作画期はさらに遡ることになる。
優美ながら落ち着いた画風で、立美人図は九頭身ほどもある伸びやかなものが多く見られる。作例はおよそ20を超え、享保期頃まで作画していたと思われる。
また、「遊女と猫図」(光記念館所蔵)の落款に「梅翁軒春信」とあり、落款の書体及び画風も似ていることから竹田春信という浮世絵師と同一であるとされる。但し、竹田春信という落款による作品の女性は概ね七頭身くらいで、永春の美人と比べると、顔もやや丸みを帯びてより気品を増している。
使用した印章も異なっている。竹田春信あるいは春信の落款の作例は、多いといえないがそれでも5例が知られる。