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宮川 一笑(みやがわ いっしょう、元禄2年(1689年) - 安永8年12月14日(1780年1月20日))は、江戸時代の浮世絵師。
宮川長春の門人。姓・藤原、名・安道。俗称・喜平次。あるいは県氏を名乗る。湖辺斎、松下堂、県蘇丸と号す。長春譲りの肉筆美人画を専門とし、宮川長亀と並ぶ双璧とされる。
主に、享保(1716年-1736年)期に、目の釣り上がった狐顔で、媚を含んだ美人画を数多く残しており、その重厚な筆致と色彩ながら、風俗画として、面白味のあるその作品は、師の長春とは異なった趣を持っている。作画は、没年の安永8年(1779年)にまで及んでいる。
寛延3年(1750年)(一説に翌宝暦元年)、師の長春が、狩野春賀に招かれ、日光東照宮の彩色修理を手伝った際、その報酬の件で、春賀と争いになり、手間賃を督促しに訪ねた長春が、春賀邸で打擲されたうえ、荒縄で縛られゴミ溜めに棄てられてしまう。
この事件を知った長春の子・長助と、門人である一笑は、斬り込みにいたり、三人を殺傷したという。故に、一笑は、宝暦2年(1752年)11月、新島へ流罪となる。この時、一笑は64才であったが、そのまま遂に赦免されないで、彼の地に多くの肉筆美人画を残して、安永8年(1779年)12月14日、91歳で没した。
一笑には、7点の「吉原歳旦の図」が知られており、これらは、ほぼ同工であるが、同門の長亀の作品を学びながらも、遊女屋の造りを変えたり、人物配置に工夫を加えて、独自の基本形式を創出している。
作画期については、例えば、浮世絵太田記念美術館所蔵の作品は、享保後期頃とされ、出光美術館所蔵の作品は、遊女の髱(たぼ)先が上に跳ね上がっていることから、元文・寛保頃の作画と考えられる。なお、新島には、「県安道」、「県蘇丸」の署名のある作品が残されている。