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山崎 龍女(やまざき りゅうじょ、生没年不詳)は、江戸時代初期の浮世絵師。
下谷長者町(現・上野三丁目)の御旗同心・山崎文左衛門の娘。名をお龍といったため、「龍女」または「女龍」と表記される。 菱川師宣に浮世絵を学んだとされるが、おそらくは独学であったと思われる。享保(1716年-1736年)期に、肉筆美人画を描いた。
幼時から画才に富んでいて、十代で、既にひとかどの美人画を描いている。画風からは、懐月堂派の影響が見られ、玉子形の顔に、切れ長の目の美人の風貌は、当時の様式によるが、龍女独自のものである。
享保19年に刊行された菊岡沾涼(てんりょう)筆『本朝世事談綺』において、その当時、「おりう絵」と呼ばれて盛名を得た様子を以下の様に伝えている。
おりう絵 女画竜は、六、七歳のころより天性うき世絵に耽りて習はずして得たり。手跡また亜之。能筆也。始は東叡山の麓にあり。今増上寺門前に住す。現在也。頃年女画工の名手なり。
(『日本随筆大成』第2巻(吉川弘文館)より)
さらに、『逸人画史』という伝記書には、おりう江戸下谷の人、画を菱川師宣に学ぶ、其画風一工夫ありて奇趣あり、業平の涅槃像の奇図を作る、実に女子の英傑なるものなり、と記されている。
龍女が描いた作品には、「山崎氏女龍十四歳筆」のように、年紀の記されたものが多く、12歳から33歳までの各時期のものが確認されている。代表作として、肉筆画『二美人駒引き図』(紙本着色・東京国立博物館所蔵)、『遊女と客図』(紙本着色・ニューオータニ美術館所蔵)、『傘持ち美人図』(紙本着色・MOA美術館所蔵)が挙げられ、3作品とも、「山崎氏女龍十四歳筆」と落款がされている。
また、『傘持ち美人図』に描かれた遊女が着ている浴衣地に、上から、市川門之助、山下金作、三条勘太郎のものと思われる役者の紋が染められており、山下金作が江戸に下ったのが享保8年(1723年)冬、市川門之助は享保14年(1729年)正月に没していることから、自ずと、龍女は、正徳(1711年-1716年)期の生まれであるとほぼ限定できよう。