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菱川 柳谷(ひしかわ りゅうこく、生没年不詳)は、江戸時代後期の浮世絵師。
勝川春章の門人。始め勝川春喬、春橋、春暁斎とも号し、後に画姓として菱川を用い、柳こく、春暁斎、丹青斎とも号す。享和2年(1802年)から文化3年(1806年)に勝川春喬と称して黄表紙などの挿絵を描いた。
享和2年刊行の楽亭馬笑作の黄表紙『武茶尽混雑講釈』3巻、文化3年刊行の式亭三馬作の洒落本『船頭深話』2巻2冊などが知られている。一説に文化の初め頃、菱川柳谷と改めたともいう。
また、桜姓をも名乗るか。享和2年刊行の樹下石上作の黄表紙『金亀山宝案内子(きんきさんたからのあないご)』3巻において、桜春橋と称している。
菱川柳谷と称してからは喜多川歌麿風の錦絵美人画が多く、かなりの力量をうかがわせる作品も数点ある。柳谷の作画期は享和から文化年間で、肉筆浮世絵も描いた。
代表作として、大判の美人画「鶴屋内菅原」、「風流和哥三夕」が挙げられる。文化年間には、黄表紙、合巻の挿絵も描いている。例として、文化6年刊行の竹塚東子作の合巻『双子山仇討話(敵討雙児山)』6巻などが挙げられる。
文化期に平戸藩士で柳谷または樵者と号した画家もいたが、同一人かは未詳である。