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喜多川 式麿(きたがわ しきまろ、生没年不詳)は、江戸時代の浮世絵師。
喜多川月麿の門人。姓は東海林、名は澄。俗称は平次右衛門または平右衛門。字は足水。牛欄舎、礫川とも号す。小石川水道橋牛天神下に住んでいた。喜多川を称して、文化年間に美人画を描いた。式麿の美人画の画風は歌麿系であったが、菊川派に近いものである。
「手をふく美人図」に描かれた遊女の髪型も、文化初期のものと考えられ、その容貌は月麿というより歌麿の晩年の作風を忠実に受け継いだようで、「今様女歌仙」などの錦絵の代表作にあるアクの強さは認められない。
また、十返舎一九作の合巻の挿絵を数点手がけている。例として、文化7年(1810年)刊行の『復讎高野紅葉(かたきうちこうやもみじ)』5巻、同年刊行の『桜ケ池』2巻などが挙げられる。
『浮世絵類考』は歌麿の門人としているが、伝存する錦絵美人画に寛政・享和期の作品が見られず、文化期の作品が大半を占めることから月麿の門人とされる。