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鳥居 清広(とりい きよひろ、生没年不詳)は、江戸時代初期の浮世絵師。
鳥居清満の門人。始めは二代鳥居清倍に学んだともいわれる。俗称・七之助。堺町に住んでいた。鳥居清長、鳥居清経と並んで、清満門下の三羽烏といわれた。
宝暦期(1751年-1764年)に紅絵、紅摺絵による役者絵の他、石川豊信風の美人画を描いている。宝暦5年(1755年)頃の制作の作品が最も多い。また、繊細で健康的なエロチシズムの溢れる「あぶな絵」も残している。
その若さ溢れる清新な作品は、石川豊信をおびやかしたが、なぜか、宝暦期のみで作画を辞めている。一説に、安永5年(1776年)に若くして、麻疹(はしか)で病死したとも伝えられている。
代表作として、大々判紅摺絵「あわびとり」、細判紅摺絵「風流新板古撰うき世繪姿」(東京国立博物館所蔵)、細判紅摺絵「佐野川市松・まさご御前」(東京国立博物館所蔵)、紅摺絵三枚続「深川娘三幅対」(平木浮世絵美術館 UKIYO-eTOKYO所蔵)、細判紅摺絵「和歌之三神」、大判紅摺絵「江戸名物蕎麦尽」、大判紅摺絵「見立尉と姥嶋台」(東京国立博物館所蔵)などが挙げられる。「和歌之三神」に、「大和畫師」と落款している。