全国の美術館の情報や絵画・彫刻・アートなど芸術作品と画家・作家の紹介
川枝 豊信(かわえだ とよのぶ、生年不明 - 享保17年(1732年))は、江戸時代初期の京都の浮世絵師。
西川祐信の門人。京都の人。洛下亭と号す。享保(1716年-1736年)期に、「蛍狩図」などのような、祐信風の肉筆美人画を数点描いた。豊信の美人画からは、巧緻とはいえないが、目鼻立ちのはっきりした、穏和にして誠実な作風が窺われる。
この「蛍狩図」は、杜若の咲き誇る岸辺で蛍狩りをする三人の少年を描いているが、土坡や草花の描写、顔の容貌に祐信とは異質の画調も窺える。
おそらく、島原あたりの遊女を描いたと思われる「美人立姿図」にも典型的に示されているように、丸顔の温雅な美人を特色としており、一見すると、祐信に通じる作風であり、軽やかに歩む美人の姿が巧く描き出されてはいるが、祐信の作品と比べると、顔料や、料紙などの質は劣っており、やや安めな印象は否めない。
また、肉筆画の落款に、「大和畫工」あるいは「大和畫師」と入れている。また、享保15年(1730年)刊行の遊戯書『」t訓蒙鏡草(からくりきんもうかがみぐさ)』3巻3冊や、翌享保16年(1731年)刊行の役者評判記『三国朗詠狂舞台』3巻2冊の挿絵を手がけたことでも知られている。