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歌川 国久(うたがわ くにひさ、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
初代歌川豊国の門人。姓名不詳。号は一斎。歌川を称した。豊国初期の門人で、一説によると女流絵師であったといわれる。さらに女性の絵師の中でも優れた一人であったという。
錦絵は少ないが、享和(1801年‐1804年)から文化(1804年‐1818年)期に主に肉筆画を描いている。その画風は喜多川歌麿の晩年のものに酷似している。
「文読み美人図」は赤い根掛けをかけた島田髷の女性が一心に手紙を読んでいる所を描いており、彼女は墨地に白の菊の花を裾に散らした振袖を広巾の茶地唐草、石畳文の帯で後ろに結んでいる。この美人の鬢の張りから見ても享和から文化の頃の作品と推測できる。国久の特色を良く表している作品といえる。
また「洗い髪美人図」はある女性が洗い終えた髪が乾くのを待っている姿を描いており、黒い薄物の夏衣装を身に纏い、髪の濡れが伝わるのを防ぐために肩に布をかけた姿や、洗い髪を左手で掬い上げるその仕草は、師・豊国の肉筆画「円窓美人図」(出光美術館所蔵)を思い出させる。
本図のような日常生活の場で女性が垣間見せるくだけた美の描写は、江戸時代末期浮世絵の得意としたところであった。主題の点では師の作品が下敷きになっているものの、ややのっぺりとした美人の容貌は先述したとおり、歌麿の晩年風を思わせる要素も強く、国久美人画の特色を良く示したものである。
やや質の劣る絵具と、取立てて繊細とはいえぬ賦彩も国久らしいものであるが、薄物越しには一応、白い肉体が透けて見えるように描かれている。洗い髪を乱したしどけない姿と相俟って、この美人の艶かしい魅力は十分に描き出せている。
国久の肉筆画は、今日の評価、知名度からすれば意外なほど当時は需要があったと考えられ、その作風は師・豊国の画風に依拠するよりも歌麿晩年の美人画様式をベースに国久独自の味付けをしたものと理解すべきものであった。
出版資本の意向に左右されない肉筆画を主な活躍の場としていたために、師風に拘泥せず自身の好む画風を追求することができたと推測される。