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高木 貞武(たかぎ さだたけ、生没年不詳)は、江戸時代の大坂の浮世絵師。
西川祐信の門人とされる。大坂の人。初名は斎藤幸助と称している。通称は幸助または幸介。素黙と号す。初めは狩野派の絵を学び、後に西川祐信の影響を受け、享保5年(1720年)から宝暦2年(1752年)の間に絵本などの挿絵を描いて活躍した。
享保5年(1720年)刊行の絵本『画図拾遺』3冊を著したのを初めとして、享保19年(1734年)刊行の絵本『絵本和歌浦』3巻3冊、宝暦2年(1752年)刊行の『本朝画林』3巻3冊などを著した。
その他に、享保17年(1732年)刊行の浮世草子『太平百物語』5巻5冊(祐佐作)や、享保21年(1736年)刊行の狂歌本『狂歌絵本草の種』3冊(水谷李郷作)などの挿絵を手がけている。
また、肉筆浮世絵をも描いており、「縁台美人喫煙図」に描かれた美人には祐信の影響が強くみられ、線の柔らかさ、曲線の多さから上方風のおっとりとした感じが出されている。それと対照的に着物の柄、裏地の朱色の置き方に大胆な描写もみられ、それらが絶妙なコントラストを醸し出している。明和(1764年 - 1772年)初年に没したと伝えられる。