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小松屋 百亀(こまつや ひゃっき、享保5年(1720年) - 寛政5年12月9日(1794年1月10日))は、江戸時代初期の浮世絵師。
師系は不詳。独学と思われる。姓は小松、通称は三右衛門。小松軒、不知足山人と号し、剃髪してから百亀と号す。江戸・元飯田町で薬種商を営み、便秘薬「文武丸」を売り出したりしている。この「文武丸」は、狂歌師の大田南畝が服用していたこともあるといわれる。
百亀は、京都の西川祐信に私淑しており、祐信の絵本や春画を収集し、自らも、春画を描いて出版した。主要な作品として、風俗本『艶道俗説辨』(刊行年不明)や、艶本『古今枕大全』(明和年間)などが挙げられる。
明和2年(1765年)には、鈴木春信らとともに、錦絵の誕生に多大な貢献をしている。その後、安永2年(1773年)、咄本『聞上手』を執筆、刊行したことによって、小咄の大流行の基礎を作った。
他に、絵暦の版下絵などを描いており、その画風は、西川祐信に似ており、さらに、鈴木春信風をも示している。享年74。墓所は、文京区向丘の大円寺。