鳥居清元 2代目

(とりい きよもと)

2代目 鳥居 清元(とりい きよもと、生没年不詳)は、江戸時代中後期の浮世絵師。

来歴

鳥居清長の門人。姓は中村、通称は金治郎、三郎助または三甫助。雪光斎と号す。江戸小梅村に住んでおり、作画期は寛政(1789年 - 1801年)から文化(1804年 - 1818年)の頃に最も活躍し、その後安政(1854年‐1860年)期にまで及んだのであった。

鳥居派の絵師として、保存されることの少ない劇場の絵看板や、署名を入れることが稀な番付類に筆を執ることが多かったため、肉筆、版画ともに今日に伝わる彼の作品は数少ない。版画の作品は極めて少ないが、肉筆画では清長風の美人画などを描いた。

寛政期のものと思われる「桜下遊女道中図」は、満開の桜の下を花魁が新造と禿を連れて道中する絵であり、版画・肉筆を問わず浮世絵にはありふれた画題のものである。それだけに僅かずつにしろ絵師による工夫が必要となるが、本図の場合は花魁のすぐ後ろを歩む二人の禿を、互いに語り合う様子に描き、しかもその内の一人を後ろ姿で配置することで画面に変化を加えている。

清長の美人画の影響は緩やかな円弧状をした目の形に端的に表れており、髪型や顔の輪郭から見て本図の制作時期は寛政期と考えられる。なお、本図の遊女や禿の着物の胸には押し並べて七宝つなぎの紋が描かれており、この紋は扇屋の滝川の替え紋として知られている。

そのうえ花魁の打掛の模様には扇も散らされているため、本図のモデルが扇屋滝川である可能性も否定は出来ない。落款には「鳥清元筆」とある。

また、浅草寺には71歳筆と款された「関羽図絵馬」の額があり、力強い描線による威風堂々たる武人像は彼の技量が相当なものであったことを物語っている。さらに向島・牛島神社に奉納された額「矢の根五郎図」には72歳筆と記されているということから長寿であったと思われる。

作品

  • 「桜下遊女道中図」 絹本着色 東京国立博物館所蔵

鳥居清元 2代目の作品所蔵美術館