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ピエール・ロワ(Pierre Roy, 1880年8月10日 - 1950年9月26日)は、フランスのシュルレアリスム系の画家。ピエール・ロアとも。まれに英語風にピエール・ロイと発音・表記されることもある。
ナントに生まれた。ロワははじめ建築を学んでいたが、のちにパリに移り住み、アカデミー・ジュリアンのジャン=ポール・ローランスのもとで絵画を学び、アンデパンダン展などに作品を出品した。そののちギョーム・アポリネールなどがロワの作品に注目し、ジョルジョ・デ・キリコとも出会うことになった。
デ・キリコはロワをアンドレ・ブルトンらに紹介し、1925年には第1回シュルレアリスム絵画展にロワも参加することになった。ちなみにその絵画展には、デ・キリコをはじめ、ピカソなども参加していた。しかし、シュルレアリスト達のグループに参加して活動を行っていたわけではないと見る向きもある。
1920年代後半にはロワの妻が亡くなり、神経衰弱状態におちいって経済的に苦しい時期もあったが、それでもシュルレアリスムに立脚した作風の作品などを発表し続けた(この時期の作品に『ある博物学者の研究』などがある)。また、劇場の舞台セットを製作したり、雑誌の表紙を手がけたりすることもあった。
1950年にミラノで死去。
ロワの作品は、写実的な画風で、お互い関係ない複数のありふれた静物(か、現実には役に立たないように、その静物の一部を奇妙に(不自然に)修正したもの)を、特異な風景(屋外や箱状のもの)の中に組み合わせて配置するような作品が多く、デ・キリコの形而上絵画の直系の影響を受けているといえる。デペイズマンやトロンプ・ルイユの技法を積極的に用いている。
デ・キリコの作品と同様に、強い静謐さを感じることができるが、色彩が、デ・キリコの作品に比べてやわらかくなっていて不安感が抑えられている作品も存在する。
日本においては、大きく取り上げた展覧会の開催も文献の刊行もない。ただ、その知名度の割に、日本国外においてすら、本格的な作品集は存在しない。