フランソワ・マリウス・グラネ

(François Marius Granet)

作品

フランソワ・マリウス・グラネ『La Trinite-des-Monts et la Villa Medicis, a Rome』(1808)ルーブル美術館所蔵、パリフランソワ・マリウス・グラネ『La Recolte des citrouilles a la Bastide de Malvalat』(1796)グラネ美術館所蔵、エクス=アン=プロヴァンスフランソワ・マリウス・グラフランソワ・マリウス・グラネフランソワ・マリウス・グラネ『Le Chœur de la Chapelle des Capucins à Rome』(1808)フランソワ・マリウス・グラネ『Stella en prison』(1810) プーシキン美術館所蔵、モスクワグラネの肖像画、アングル作、1809年

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フランソワ・マリウス・グラネについて

フランソワ・マリウス・グラネ(François Marius Granet、1777年12月17日 - 1849年11月21日)はフランスの新古典主義の画家。エクス=アン=プロヴァンス出身。

人物

1777年、エクス=アン=プロヴァンスで左官工の家に生まれる。父親の絵画コレクションを模写することで絵画に触れ、その後エクスの絵画学院で学んだ。

1796年、パリに転居し、ジャック=ルイ・ダヴィッドに師事し、壁画を描きながら生計を立てる。

1802年にローマに赴き、古代の遺跡や芸術家の生涯などを描いた。その頃、教会や修道院の内装が評価され、彼の新古典主義の知識とは反するものではあったが、明暗の強い対比が特徴のオランダ絵画のスタイルで有名になる。

1809年、ダヴィッドのアトリエで知り合ったドミニク・アングルのために、ヴィラ・メディチの宿舎の屋根の上でモデルを務めた。(右のグラネの肖像画の画像参照)

1819年にフランスへ帰国した後、1824年にルーブル美術館の副館長に就任、1826年には同館長になった。

1848年のフランス2月革命の後、エクスに戻り隠遁し、翌年1849年に没した。
彼の死後、アトリエや絵画はエクス市に遺贈され、彼の栄誉を称えその名を冠したグラネ美術館が同市に建立された。現在も、観光地として賑わっている。

フランソワ・マリウス・グラネの作品所蔵美術館