アメデオ・モディリアーニ

(Amedeo Clemente Modigliani)

作品

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アメデオ・モディリアーニについて

アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(Amedeo Clemente Modigliani, 1884年7月12日 - 1920年1月24日)は、20世紀初頭に活動した画家・彫刻家で、イタリア出身だが、渡仏し、おもにパリで制作活動を行った。

来歴

1884年、イタリア・トスカーナ地方のリヴォルノに生まれた、セファルディ・ユダヤ系のイタリア人である。芸術家の集うモンパルナスで活躍し、エコール・ド・パリ(パリ派)の画家の一人に数えられる。

モディリアーニはヴェネツィアで美術学校に通った後、1906年にパリへ移住した。1907年と1912年にはサロン・ドートンヌ、1908年、1910年、1911年の各年にはアンデパンダン展に出品している。

最初は彫刻家を志し、1915年頃まではアフリカ、オセアニア、アジア、中世ヨーロッパなどの民族美術に影響を受けた彫刻作品を主に作っていた。しかし、資金不足と粉塵による健康の悪化などの理由により断念せざるを得なかった。しかし、その間に残した一連のスケッチからは、後の作品の特徴であるフォルムの単純化の過程を知ることができる。

1914年、パリでも著名な画商ポール・ギヨームと知り合い、ギヨームや友人のマックス・ジャコブの勧めもあって1915年頃から絵画に専念し画業を始める。シャイム・スーティンや藤田嗣治やモーリス・ユトリロとも交友関係にあった。1916年からは、画商レオポルド・ズボロフスキーと専属契約を結び、絵をすべて引き取る代わりに画材などを提供してもらった。

絵画の代表作の大部分は1916年から1919年の間に集中して制作されている。モディリアーニの絵画のほとんどは油彩の肖像画であり(風景画はわずか3点)、顔と首が異様に長いプロポーションで目には瞳を描き込まないことが多いなど、特異な表現をとっているが、これは自身の彫刻の影響が指摘されている。なお、初期にはピカソの「青の時代」やポール・セザンヌの影響を受けた絵を制作している。

1917年にはベルト・ヴァイル画廊にて、生前唯一の個展を開催したが、裸婦画を出展したのが元で大騒ぎとなり、一日で裸婦画を撤去する事態となった。同じ年、後に妻となり、裸婦像などの絵画モデルを務めた画学生ジャンヌ・エビュテルヌと知り合っている。彼女を内妻とし、1918年に長女ジャンヌをもうけるも、貧困と持病の肺結核に苦しみ、大量の飲酒、薬物依存などの不摂生(ただし飲酒については肺結核による咳を抑えるためしかたなく飲んでいたと言われる)の末、1920年1月24日に結核性髄膜炎により35歳で没した。

彼の二人目の子を妊娠していた妻のジャンヌもアメデオの死の2日後、後を追って自宅から飛び降り自殺した。この時妊娠9ヶ月だったという。ジャンヌの遺族の反対もあり、二人の遺体は10年後になってようやくパリのペール・ラシェーズ墓地に一緒に埋葬された。

モディリアーニの生涯は半ば伝説化しており、映画化もされている。

  • 『モンパルナスの灯』(1958) 監督:ジャック・ベッケル、主演:ジェラール・フィリップ、フランス映画
  • 『モディリアーニ 真実の愛』(2004)監督:ミック・デイヴィス、主演:アンディ・ガルシア、6カ国合作

だが、近年になりジャンヌの写真や絵画が再発見されるとともに、伝説と化した彼らの生涯の再評価が始まっている。

エピソード

  • ピカソに12年前の借金を返済されたとき、100スー(5フラン)の借金に対して「利子」と称して20倍の100フランを請求したという。
  • 1歳2ヶ月で両親に先立たれたモディリアーニの娘ジャンヌ(1918-1984)はモディリアーニの姉に引き取られ、フィレンツェで育てられたが、はじめは両親をめぐる事実を知らされていなかった。後年、自らも美術に携わり、ドイツ表現主義やエコール・ド・パリ、ゴッホなどの研究を経て、父モディリアーニの研究にも従事した。

代表作

  • カリアティード(1911-13年)(愛知県美術館)
  • ポール・ギヨームの肖像(1915年)(オランジュリー美術館)
  • シャイム・スーティンの肖像(1916年)(個人蔵)
  • 髪をほどいた横たわる裸婦(1917年)
  • おさげ髪の少女(1918年)(名古屋市美術館)
  • ズボロフスキーの肖像(1919年)(サンパウロ美術館)

アメデオ・モディリアーニの作品所蔵美術館