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サルヴァトール・ローザ(Salvator Rosa、1615年6月20日(あるいは7月21日) - 1673年3月15日)は、イタリア・ナポリ出身のオペラ作曲家。また、画家にして詩人でもある。
サルヴァトールはナポリ近郊のアレネッラで生まれた。父親は彼が6歳の時に亡くなり、母親は子供たちを祖父ヴィートに預けて家を出て行った。
祖父ヴィートは孫たちを勉学のため修道院へと送り出したが、サルヴァトールはその後すぐに芸術に関心を示し始めた。
母方の叔父のもとで絵画の初歩を学びんだのち、画家を職業とした。
1634年、20歳になったローザが初めてローマに来た時は一文無しで、奇抜なイスパニアの服装をしており、それにつきものの剣を腰に帯びていた。病のため2年後にはナポリに帰国することになったが、1638年に再びローマにやってきた。だが、カーニバルの時期に通りで行う茶番劇で、当時ローマの彫刻界を席巻していたベルニーニを風刺したために、ローマを立ち去らざるをえなくなった。(ルドルフ・ウィットカウアー著『数奇な芸術家たち』1969年)
そうして、ジャンカルロ・デ・メディチ枢機卿の招きを受諾し、1639年から8年間フィレンツェに滞在し、同地で「アッカデーミア・ペルコッシ」を設立し、文学者や芸術家や芸術愛好家たちの交流の場を設けた。
作曲家としてだけではなく、画家や詩人としても有名であり、作曲家であるアントニオ・チェスティと親交があった為、チェスティの為に詩作を残している。
画家としては18世紀から19世紀にかけて、イギリスで好評を得ている。しかし、作曲家としてはローザの作品を彼自身が作曲したということを疑問視する説もある。
1673年、ローマで起こった暴動に巻き込まれ、没する。