![ロレンツォ・コスタ『聖セバスティアヌス』ウフィツィ美術館](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa1-thumb-120x169-6239.jpg)
![ロレンツォ・コスタ](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa7-thumb-120x171-6251.jpg)
![ロレンツォ・コスタ](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa8-thumb-120x167-6253.jpg)
![ロレンツォ・コスタ『子犬を抱えた女性』](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa3-thumb-120x155-6243.jpg)
![ロレンツォ・コスタ](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa5-thumb-120x161-6247.jpg)
![ロレンツォ・コスタ](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa6-thumb-120x164-6249.jpg)
![ロレンツォ・コスタ『合奏』ロンドン、ナショナル・ギャラリー](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa2-thumb-120x153-6241.jpg)
![ロレンツォ・コスタ『マドンナ』](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa4-thumb-120x118-6245.jpg)
![ロレンツォ・コスタ『聖家族』フランス・リヨン、リヨン美術館](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa9-thumb-200x146-6255.jpg)
![ロレンツォ・コスタ](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa12-thumb-200x126-6261.jpg)
![ロレンツォ・コスタ](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa13-thumb-200x175-6263.jpg)
![ロレンツォ・コスタ](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa11-thumb-200x165-6259.jpg)
![ロレンツォ・コスタ](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa10-thumb-200x138-6257.jpg)
![ロレンツォ・コスタ](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa14-thumb-200x140-6265.jpg)
![ロレンツォ・コスタ](https://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/01/lorenzo_costa15-thumb-200x75-6267.jpg)
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ロレンツォ・コスタ(Lorenzo Costa, 1460年 - 1535年3月5日)は、イタリアのルネサンス期の画家。
フェラーラに生まれたが、20代のはじめ頃までにはボローニャに移っていた。おそらく、そこで、ボローニャ派の強い影響を受けたと思われる。とはいえ、多くの画家が両方の都市の近郊で働いていて、他の画家たちはコスタのことをフェラーラ派だと見なしていた。コズメ・トゥーラ(フェラーラ派)のところで修行したという説もある。
1483年に、コスタは『聖母子とともにあるベンティヴォーリオ家』他のフレスコ画を、サン・ジャコモ・マッジョーレのベンティヴォーリオ礼拝堂の壁に描くと、引き続き多数の作品を制作した。コスモはフランチェスコ・フランチャとは親友で、ライボリーニの影響を強く受けた。1509年、コスタはマントヴァに行き、そこでフランチェスコ2世・ゴンザーガというパトロンを見つけた。コスタは死ぬまでその地にとどまった。
彼の息子イッポリト(1506年 - 1561年)とジローラモ、さらにジローラモの息子の小ロレンツォ(1537年 - 1583年)も画家になった。コスタの仲間あるいは弟子たちには、コズメ・トゥーラ、ドッソ・ドッシ、ルドヴィコ・マッツオリーノ、さらにニッコロ・ピサーノ(1470年 - 1538年。同名の彫刻家とは別人の画家)といった人々がいた。