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ジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano, 1499年? - 1546年11月1日)はルネサンス中期の建築家・画家。幻想的、官能的なマニエリスム芸術を展開した。
ローマに生まれ、ラファエロ門下で画家として修行を積む。バチカンの後期のフレスコ画やキリストの変容、「樫の木の下の聖家族」といった後期の作品は一般的にラファエロではなく彼の手によるものとするのが定説である。ラファエロとともにバチカン宮殿の壁画を描き、ラファエロが急逝した後に壁画を完成させ、名声を上げた。1524年、マントヴァのゴンザーガ家に招かれ、夏の離宮であるパラッツォ・デル・テ(Palazzo del Tè)の建築家に任命された。彼は同じマントヴァに自邸を建て、晩年まで暮らした。
室内装飾が完成度の高い繊細さを備えているのに対し、「巨人族の没落」は全く異なる特質を持ち、仕上げは荒荒しい。このいわゆる「巨人の間」は主に1532年3月から1534年7月にかけて描かれた。天井全体は円形のもろもろの神々が集まっている大神殿の描写で覆われ、空中から見られているように見える。巨人VS神々さながらの光景はロマーノがラファエロのもとで十分に習熟したイリュージョニズムや透視画法の工夫で、一層強められている。
ロマーノは公のお気に入りの芸術家だったので、住宅の規模から相当に財産があったことがわかる。 そのファサードはブラマンテの設計した「ラファエロの家」の最も見事なパロディである。 一種の不完全なペディメントを形作るように中央で高まり、続いてペディメントがその下にある平たいアーチの 要石を押し下げている方法やいくぶん小さすぎる浅いアーチの中に押し込められて、円柱には支持されていない見事なエンタブラチェアをいただいた奇妙な窓枠構造など作法にのっとらない方法を生み出し、その手法は 建築史家の間で評価が高い。