ギュスターヴ・カイユボット

(Gustave Caillebotte)

作品

ギュスターヴ・カイユボット『自画像』(1892年)ギュスターヴ・カイユボット『イエール、雨』(1875)ギュスターヴ・カイユボット『窓辺の若い男』(1875)ギュスターヴ・カイユボット『イエール川、飛び込み台の男』(1878)ギュスターヴ・カイユボット『イエール川畔の釣り人』(1878)ギュスターヴ・カイユボット『オレンジの木』(1878)ギュスターヴ・カイユボット『ボート漕ぎ』(1878)ギュスターヴ・カイユボット『バルコニーの男、オスマン大通り』(1880)ギュスターヴ・カイユボット『バルコニー、オスマン大通り』(1880)ギュスターヴ・カイユボット『キャフェにて』(1880)ギュスターヴ・カイユボット『室内』(1880)ギュスターヴ・カイユボット『作業衣の男』(1884)ギュスターヴ・カイユボット『アルジャントゥイユの帆舟群』(1888)ギュスターヴ・カイユボット『金蓮花』(1892)ギュスターヴ・カイユボット『プティ・ジャンヌヴィリエの庭、冬』(1894)ギュスターヴ・カイユボット『床削りの人々』(1875)ギュスターヴ・カイユボット『昼餉』(1876)ギュスターヴ・カイユボット『ピアノを弾く若い男』(1876)ギュスターヴ・カイユボット『田舎の肖像』(1876)ギュスターヴ・カイユボット『ヨーロッパ橋』(1876)ギュスターヴ・カイユボット『パリの通り、雨』(1877)ギュスターヴ・カイユボット『イエール川のカヌー』(1877)ギュスターヴ・カイユボット『ボート漕ぎ』(1877)ギュスターヴ・カイユボット『屋根の上の雪』(1878)ギュスターヴ・カイユボット『店先の果物』(1882)ギュスターヴ・カイユボット『トゥルヴィーユの別荘』(1884)ギュスターヴ・カイユボット『ジャンヌヴィリエの草原』(1888)

※モニターにより実際の色とは異なって表示されます。

ギュスターヴ・カイユボットについて

ギュスターヴ・カイユボット(Gustave Caillebotte、1848年8月19日 - 1894年2月21日)は、フランスの画家で、印象派絵画の収集家で、印象派の画家たちの経済的支援者であった。

生涯

富裕な衣料製造業者の子として、パリ10区のフォーブル・サン・ドニ通り(Rue du Faubourg-Saint-Denis)に生まれ、のち8区のマルゼルブ大通りに移った。

1857年(9歳)、ルイ=ル=グラン高等中学に入り、1870年、法律学校を卒業して法律免許を得た。その頃からレオン・ボナの画塾に通い、1873年、パリ国立美術学校に入学したが、あまり登校しなかった。1874年、ドガ、モネ、ルノワールらを知った。1875年の官展に『床削りの人々』を持ち込んだが、「粗野」を理由に拒否された。

1878年(30歳)、分割相続した家産により、画業に専念し、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、ドガ、セザンヌらの作品を買うなどして、画家たちを経済的に助けられるようになった。

印象派美術展開催の費用も提供し、自らも第2回(1876年)・第3回(1877年)・第4回(1879年)、第5回(1980年)・第7回(1982年)の会に自作を複数点出品した(→おもな作品)。また、購入済みの友人らの作品を展示用に貸し出した。

彼の作品には、浮世絵、写真術、友人らの画風の影響などが見られるという。パリ南西郊のイエール川畔を題材にした作品が多いのは、幼少時からそこで夏を過ごしたからである。

1881年(33歳)、パリ西北郊、セーヌ川畔のプティ・ジュヌヴィリエ(Petit-Gennevilliers)に敷地を求め、1888年から永住した。1882年以降は画を公表せず、園芸、ヨット作り、切手収集などに凝った。ルノワールが繁く訪れた。ジヴェルニーの温室で、モネと蘭を育てもした。

1894年(45歳)、園芸作業中、肺鬱血により没し、パリのペール・ラシェーズ墓地に葬られた。

シャルロット・ベルティエ(Charlotte Berthier)と愛人関係にあったが、結婚はしなかった。

ピサロ、モネ、ルノワール、シスレー、ドガ、セザンヌ、マネの、計68点を、フランス政府に遺贈する気でいたが、当時印象派絵画はまだ『日陰者』で、ルノワールの2年間の折衝ののち、政府は漸く38点を受け入れた。現在はオルセー美術館へ移管されている。

カイユボット自身の作品は、1950年代になって子孫が漸く市場に出した。

おもな作品

  • 『化粧台の前の女』(Femme à sa toilette)(1873)、個人蔵
  • 『庭師たち』(Les Jardiniers)(1875-1877)、個人蔵
  • No.2『床削りの人々』(Les Raboteurs de parquet)(1875)、オルセー美術館。
  • 『イエール、雨』(L'Yerres, pluie(1875)、インディアナ州立美術館。
  • No.2『窓辺の若い男』(Jeune homme à la fenêtre)(1875)、個人蔵。
  • No.2『昼餉』(Le déjeuner)(1876)、個人蔵。
  • No.2 『ピアノを弾く若い男』(Jeune Homme au Piano)、(1876)、個人蔵。
  • No.3『田舎の肖像』(Portraits à la campagne)(1876)、バイユーのジェラール男爵美術館。
  • No.3『ヨーロッパ橋』(Le Pont de l'Europe)(1876)、スイスのプティパレ美術館。
  • No.3『パリの通り、雨』(Rue de Paris, temps de pluie)(1877)、シカゴ美術館。
  • 『ボート漕ぎたち』(Canotiers)(1877)、個人蔵
  • No.3『外装工』(Peintres en bâtiment)(1877)、個人蔵。
  • No.4『イエール川のカヌー』(Les Périssoires sur l'Yerres)(1877)、ワシントン国立美術館。
  • No.4『ボート遊び』(La Partie de bateau)(1877)、個人蔵。
  • No.4『ボート漕ぎ』(Les Périssoires)(1877)、ミルウォーキー美術館。
  • 『サン・ラザール駅』(La Gare Saint Lazare)(1877)、オルセー美術館
  • 『イエール川、飛び込み台の男』(Baigneur s'apprêtant à plonger)(1878)、不明。
  • 『イエール川畔の釣り人』(Pêcheur au bord de l'Yerres)(1878)、個人蔵。
  • No.4『オレンジの木』(Les Orangers)(1878)、ヒューストン美術館。
  • No.4『ボート漕ぎ』(Les Périssoires)(1878)、レンヌ美術館。
  • No.4『屋根の上の雪』(Vue de toits、effet de neige)(1878)、オルセー美術館。
  • 『イエール川のカヌー遊び 』(Canotiers ramant sur l'Yerres)(1879)、個人蔵
  • No.7『バルコニーの男、オスマン大通り』(Homme au balcon, boulevard Haussmann)(1880)、個人蔵。
  • No.7『バルコニー、オスマン大通り』(Un Balcon, Boulevard Haussmann)(1880)、個人蔵。
  • No.5『キャフェにて』(Dans un café)(1880)、ルーアン美術館。
  • 『室内』(Intérieur)(1880)、個人蔵。
  • No.7『店先の果物』(Fruits sur un étalage)(1882)、ボストン美術館。
  • No.7『カルタ遊び』(La Partie de bésigue)(1880)、個人蔵
  • No.5『上から眺めたブールヴァール』(Boulevard vu d'en haut)(1880)、個人蔵
  • No.7『静物、店先の家禽と野鳥』(Nature morte. poulet et gibier à l'étalage)(1882)、ボストン美術館
  • 『作業衣の男』(Homme portant une blouse)(1884)、個人蔵。
  • 『トゥルヴィーユの別荘』(Villas à Trouville)(1884)、個人蔵。
  • 『ジャンヌヴィリエの草原』(La Plaine de Gennevilliers)(1884)、個人蔵
  • 『アルジャントゥイユの帆舟群』(Voiliers à Argenteuil)(1888頃)、オルセー美術館。
  • 『金蓮花』(Nasturces)(1892)、個人蔵。
  • 『プティ・ジャンヌヴィリエの庭、冬』(Le jardin du Petit Gennevilliers en hiver)(1894)個人蔵。
  • 『自画像』(Gustave Caillebotte, autoportrait)(1892)、個人蔵

ギュスターヴ・カイユボットの作品所蔵美術館