アリ・シェフェール

(Ary Scheffer)

作品

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アリ・シェフェールについて

アリ・シェフェール(アリ・シェーフェル、Ary Scheffer, 1795年2月10日 - 1858年6月15日)は、オランダ、ドルトレヒト出身のフランスの画家。

生涯

貧しい画家だった父親が早くに亡くなって、母親はシェフェールをパリに連れて行き、ピエール=ナルシス・ゲラン(Pierre-Narcisse Guérin)の工房に入れた。シェフェールがゲランの工房を出た頃、フランスではグザヴィエ・シガロン(Xavier Sigalon)、ウジェーヌ・ドラクロワ、テオドール・ジェリコーといった画家たちによるロマン主義が流行していた。しかし、シェフェールはロマン主義に関心がなく、「冷たい古典主義(classicisme froid)」と呼ばれる独自のスタイルを発展させた。

シェフェールは文学、とくにバイロンやゲーテの作品を題材にした絵をよく描いた。人気のあった「ファウスト」テーマの作品には、『糸車のマルガレート』、『疑惑に苛まれるファウスト』、『サバトのマルガレーテ』、『教会を去るマルガレーテ』、『庭園の散歩』、『井戸辺のマルガレーテ』などがある。1836年には、ゲーテ作品のヒロイン、ミニョンの絵を2枚と、ほぼ同時期にフランチェスカ・ダ・リミニを讃える絵を描いた。

それから宗教的なテーマに転じた。『慰める者キリスト』(1836年)に始まり、『報いる者キリスト』、『星に導かれし羊飼いたち』(1837年)、『王冠を置く東方の三博士』、『オリーヴの庭のキリスト』、『十字架を運ぶキリスト』、『埋葬されたキリスト』(1845年)、『聖アウグスティヌスとモニカ』(1846年)が続けて描かれた。

シェフェールは熟達した肖像画家でもあった。描いた人物には、フレデリック・ショパン、フランツ・リスト、ラファイエット、ベランジュ、アルフォンス・ド・ラマルティーヌ、マリー・アメリー・ド・ブルボンらがいる。

1846年以後、シェフェールは出展を止めた。王族との強い結びつきは、1848年のフランス第二共和政発足後にシェフェールの人気を失墜させた。シェフェールはアトリエに籠もり、多くの絵を描いたが、それが展示されたのは死後のことだった。シェフェールは1858年6月15日にアルジャントゥイユで没し、遺体はモンマルトル墓地に埋葬された。

死後に展示された作品の中には、『大地の不安』と、未完成のまま残された『復活を告げる天使』がある。亡くなるまでの間にその名声は地に堕ちていた。その魅力と腕前は讃えられたが、色使いの貧しさと感情の生気のなさが非難された。

シェフェールはボードラン将軍の未亡人と結婚した。1798年9月27日にデン・ハーグで生まれた弟のアンリも多作の画家だった。シェルフェールは1848年、つまりサロンから完全に引退した後に、レジオンドヌール勲章のコマンドールを叙勲した。

わが国には《戦いの中、聖母の加護を願うギリシャの乙女たち 》(1826)が国立西洋美術館に所蔵されている。

アリ・シェフェールの作品所蔵美術館