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ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme, 1824年5月11日 - 1904年1月10日)はフランスの画家で彫刻家。歴史や東方(オリエント地域)を題材にしたものを得意とした。
ヴソー(オー=ド=セーヌ県)生まれ。1841年にパリへ出てポール・ドラローシュのもとで働き、ドラローシュのイタリア旅行(1844年 - 1845年)にも同伴した。
フランスに戻るとジェロームは『闘鶏』を発表し、この作品で1847年にサロンの銅メダルを獲得した。さらに1848年には『聖母とキリスト』、『聖ヨハネとアナクレオン』、『バッカスとキューピッド』で銀メダルを獲得した。ジェロームは『バッカスと愛、酔い』、『ギリシアの室内装飾』、『イタリアの思い出』を1851年に発表。『パエストゥム』を1852年に、『田園』を1853年に発表した。
1854年にジェロームはオスマン帝国とドナウ川沿岸を旅行した。1855年の万国博覧会のために『羊飼い』、『ロシアの音楽会』、そして大カンバスに描いた『アウグストゥスの時代』と『キリストの誕生』などを出品した。最後のものは卓越した能力が認められて、国が買い上げた。
1857年にはエジプトを訪問した。同年のサロンに『二部作、仮面舞踊会の後』、『砂漠を横切るエジプトの新兵』、『マノンとシストリス』と『水を飲むラクダ』などを出品、人気を得る。
1859年の『カエサル』においてジェロームは困難な画業への回帰に挑んだ。しかし、作品は公衆の歓心を得るのに失敗した。
『法廷のフリュネー』、『カンダウレス王』と『アスパシアの家で、アルキビアデスを見つけるソクラテス』(1861年)は題材が理由となってスキャンダルを起こし、ポール・ド・サン・ヴィクトール(w:en:Paul Bins, comte de Saint Victor)とマキシム・デュ・カンから非難される結果となる。同じサロンに彼は『藁を切り刻むエジプト人』と『エッチングを制作するレンブラント』という2つの完成された作品を展示した。
ジェロームの白眉といえる作品は東方を題材にしたもの、たとえば『トルコの囚人とトルコの刑吏』(1863年)、『祈る人』(1865年)、『奴隷市場』(1867年)、そして『ハレムからの逃走』などである。また、彼はよく歴史を題材にもした。『ルイ14世とモリエール』(1863年)と『ネイ提督の死』(1868年)がそれである。
ジェロームはまた彫刻家としても成功した。作品の中には『オンファール』(1887年)、シャンティリー城の前に立っているアンリ・ドルレアンの彫像(1899年)、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツに展示されている『Bellona』(象牙、金属、その他貴重な石でできている)、金・銀・貴金属が使われている『ナポレオンのカイロ入城』(1897年)、『タメルラン』(1898年)と『フリードリヒ大王』(1899年)という一連の「征服者」を題材にした興味深い作品を制作し始める。
ジェロームは1865年にフランス学士院のメンバーに選ばれた。
ジェロームの後進には以下の者が含まれる。