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マリー=ガブリエル・カペ(Marie-Gabrielle Capet, 1761年9月6日 リヨン - 1818年11月1日 パリ)は, 新古典主義のフランスの画家である。
マリー=ガブリエル・カペは1761年に使用人の娘として生まれた。1781年、20歳の時に、アデライド・ラビーユ=ギアールの運営する「女性のための美術学校」で画家になる勉強をするためにパリへ旅立った。同級生にマリー=ヴィクトワール・ダヴリル(Marie-Victoire d'Avril)とキャロー・デュ・ローズモンド(†1788年)がいた。
その後、数点のデッサンとパステル画が Salon dela Jeunesseに初出品されたが、若い芸術家はまだ無名であった。その後の2年間で彼女は油絵に熟達し、1783年と1784年に油絵による最初の『自画像』を作成している。
そしてまた1785年からカペの大きな作品が Salon de la Jeunesse に展示された。同じ年に2枚の絵が役員によってSalon de la Correspondanceに送られ、1786年に1枚のパステル画が展示された。彼女の作品は好評を得、ラビーユ=ギアールの弟子であることも手伝って作品を依頼されるようになった。
彼女の肖像画の主なものにフォンテンブローの管理人の妻のLongrois夫人、オラトリオ会の総長Moisset神父、アデライド・ラビーユ=ギアールも描いたアデライード王女とヴィクトワール王女(1787年)などがある。
1791年に彼女は細密画をサロンに初めて出品した。これにより彼女は職歴の最後まで有名であった。Etienne Elias、弁護士のNicolas-Pierre Berryer、劇作家で裁判所メンバーのMarie-Joseph Chénierなどのいくつかのパステル画の肖像画は個人の注文によるものである。
カペは、しばしばヴァンサン、アデライド・ラビーユ=ギアールをはじめとしてヴィエン、シュヴァ、ウードン、Pallière、メニエなどの代作をしている。マリー・カペの師匠で同居人のアデライド・ラビーユ=ギアールが病気になった時、彼女はアデライドが1803年に死ぬまで看病をした。
1814年から彼女は歴史画に取り組み、健康の女神ヒュギエイアの神話画を描いた。この作品は Dr. Moreau de la Sarthe に売却されている。彼女の最後の油絵作品と見られる『Demetz夫人の肖像』は1815年に描かれ、彼女の手元に置かれた。彼女は1818年にパリで死去している。