ノエル・ヌエット

(Noël Nouet)

ノエル・ヌエット(Noël Nouet、1885年3月30日 - 1969年10月2日)は、フランス、ブルターニュ出身の詩人、画家。40歳から75歳までの約36年間、日本でフランス語教師として方々の学校で教える傍ら、詩集の出版をはじめとして様々な執筆活動を行った。晩年はフランスに戻り、85歳で生涯を終えた。

経歴

日本との出会い

フランスで既に三作の詩集を発表していたヌエットは、第4作目の詩集を出版するための費用を作るため、外国人学生にフランス語を教え始めた。そこで彼は、学生を通じて日本文化を知ることとなる。

日本大使館の紹介により、静岡高等学校がフランス人教師を一人探していることを知る。彼は出願し、1926年3月に横浜に到着した。学校では一日平均三時間の授業を行い、東京の陸軍士官学校でも週一度の講義を行うようになった。

三年後、一度フランスに戻るが1930年、今度は東京外国語学校(現・東京外国語大学)の教師として再び来日する。その後17年間、日本に滞在し、その間には、文化学院、アテネ・フランセ、早稲田大学、東京大学でも教壇に立つ。

1947年、東京外国語学校に辞表を提出し、その後は住む場所を転々とする。1950年、銀座の万年堂にて小さな個展を開いた。その時の案内パンフレットに永井荷風が文を載せている。1951年、皇太子明仁親王のフランス語教師を一年務める。1952年、牛込に小さな家を買って落ち着き、教師の傍ら執筆活動を行う。

戦時中

第二次世界大戦の中、フランスと日本は敵対国であったため、フランス図書の輸入ができず、彼は授業で使うフランス語の教科書を自分の短文と絵で作った。

  • 『夜まわりの音』/白水社
  • 『眠れる蝶』/第三書房

晩年

1961年の夏、彼は祖国フランスへ帰る決意をした。パリに帰国後は東京にいた時のようにスケッチを描いてすごし、故郷ブルターニュを訪れたりした。1965年5月、東京都の名誉都民の称号を与えられた。83歳にもなると絵も描かなくなり、散歩も控えるようになったが日本人との交友は永く続いた。

版画との出会い

ヌエットの家には、母がデュシェ-ヌ・ド・ベルクール(フランスの駐日総領事1859-1864)から譲り受けた歌川広重の版画のコレクション(『江戸名所百景』)があった。石井柏亭のはげましもあり、町の風景を中心に絵を描き始めた。

贔屓にしていた版画商に絵を見せると版画を出版することが決まり、彼は普通の版画の大きさで絵を描いた。彼は広重の影響で色彩画の版画も試み、それは売れるようになった。白水社の雑誌『ふらんす』にデッサンを発表し、それをまとめて絵葉書にしたものをジャパン・タイムズ社が売り出した。

さらに同社は『ジャパン・タイムズ』の紙上に週一回、三年にわたってデッサンを掲載し、その中から50枚を選んで彼の最初の画集として刊行した。彼は高所から書くことを好んだ。それは、かつて朝日新聞社の屋上から見た風景に魅せられたためである。

主な作品

  • 1910年『葉がくれの星』
  • 1911年『無限を渇望する心』
  • 1913年『荒野の鐘』
  • 1930年『水蝋樹の花香』(肖像画:藤田嗣治)

画集

  • 1934年『東京ー一外人の見た印象』
  • 1947年『宮城環景』訳:山内義雄

その他

  • 1928年『パリ二千史』
  • 1950年『パリ』訳:鈴木力衛・小林正(『パリ二千史』の日本語訳版)
  • 1955年『東京誕生記』訳:川島順平/朝日新聞社
  • 1959年『エドモンド・ド・ゴンクールと日本美術』訳:芹沢純子/大修館

ノエル・ヌエットの作品所蔵美術館