アルフレッド・シスレー
(Alfred Sisley)
作品
アルフレッド・シスレーについて
アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley, 1839年10月30日 - 1899年1月29日)は、フランス生まれのイギリス人の画家。
略歴
- 1839年 10月30日フランスのパリに生まれる(国籍はイギリス)
- 1857年 ロンドンで商売の修業をする(~1861年)
- 1862年 画家を志望してパリに戻る 1862年シャルル・グレールの画塾に入る(ルノアール、モネ、ドガ等の画家と知り合う)
- 1860年代半ば モデルを務めていたウジェニー・レクーゼクという女性と交際
- 1867年 息子ピエール誕生
- 1867年 画家コローの弟子としてサロンに出品
- 1869年 娘ジャンヌ・アデル誕生
- 1870年 普仏戦争及びパリ・コミューン(労働者階級による革命政府)騒動の為、実家が破産。経済的困窮に陥る。
- 1871年 パリ・コミューンを避けるためルーヴシエンヌにほど近いヴォワザンへ移住。 その後、アルジャントゥーユ、ブージヴァル、ポール・マルリにも移住。
- 1874年 熱心な収集家で著名なオペラ歌手であったジャン=バティスト・フォールの招きによりイギリスに滞在(7~10月)
- 1874年 第1回印象派展に出品(~第3回まで出品)
- 1875年 モネ、ルノワール、ベルト・モリゾとともに水彩画、油彩画の即売会開催
- 1889年 11月モレ・シュル・ロアンに移住
- 1893年モレ・シュル・ロワンのノートルダム教会を連作で14点描く(~1894年)「朝の日差しを浴びるモネ教会」等
- 1897年 イギリスのコーンウォールでウジェニーとの婚姻届を提出。
- 1899年 モレ・シュル・ロワンで癌の為亡くなる(60歳)
典型的な印象主義者
シスレーの900点近い油彩作品のうち大部分は、パリ周辺の風景を題材にした穏やかな風景画で、人物、室内画、静物といった他のジャンルは全て合わせてもおそらく20点に満たない。他の印象派の画家の多くが、後に印象派の技法を離れたなかで、シスレーは終始一貫、印象派画法を保ち続け、もっとも典型的な印象派の画家といえる。1900年頃、アンリ・マティスがカミーユ・ピサロに会った際、マティスが「典型的な印象派の画家は誰か?」と尋ねると、ピサロは「シスレーだ」と答えたという。
代表作
- ルヴシエンヌの雪(オルセー美術館)1875年
- ポール・マルリーの洪水(フィッツウィリアム美術館)1876年
- モレのロワンの運河(オルセー美術館)1892年
- 春の太陽、ロワン川(個人蔵)1892年
- モレの教会堂(プティ・パレ美術館)1894年
日本にあるシスレー作品
- 森へ行く女たち(ブリヂストン美術館)1866年
- ルーヴシエンヌの風景(国立西洋美術館)1873年
- マルリーの水飼い鳥(ポーラ美術館)1873年
- 牧草の牛、ルーヴシエンヌ(富士美術館)1874年
- 塔(姫路市立美術館)1875年頃
- 舟遊び(島根県立美術館)1877年
- マルリーの通り(大原美術館)1879年
- セーヴル磁器工場(マスプロ美術館)1879年
- セーヴルの跨線橋(ポーラ美術館)1879年
- 秋風景(上原近代美術館)1880年
- サン=マメスのロワン河畔の風景(鹿児島市立美術館)1881年
- ヴヌー・ナドンの冬(村内美術館)1881年
- サン=マメスの平原、2月(サントリー美術館)1881年
- サン=マメス6月の朝(ブリヂストン美術館)1884年
- サン=マメス(ひろしま美術館)1885年
- サン=マメスのロワン河(ポーラ美術館)1885年
- 麦畑から見たモレ(松岡美術館)1886年
- モレのポプラ並木(山形美術館)1888年
- 葦の川辺─夕日(茨城県近代美術館)1890年
- ロワン河畔、朝(ポーラ美術館)1891年
- 積み藁(諸橋近代美術館)1895年
- レディース・コーヴ、ウェールズ(ブリヂストン美術館)1897年
- レディース・コーヴ、ヘースティングス(富士美術館)1897年
アルフレッド・シスレーの作品所蔵美術館