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古賀 春江(こが はるえ、1895年6月18日 - 1933年9月10日)は大正期に活躍した日本の初期のシュルレアリスムの代表的な洋画家(男性)である。本名は亀雄(よしお)。後に僧籍に入り「古賀良昌(りょうしょう)」と改名する。「春江」はあくまでも通称である。
福岡県久留米市の江戸時代初期からの歴史を持つ浄土宗の寺・善福寺の住職(古賀正順)の長男として生まれる。上京後、太平洋画会研究所と日本水彩画研究所とに所属した。
1922年、「埋葬」で二科賞を受賞。同年、美術団体「アクション」を共同で創立した。1926年から1927年にパウル・クレーに傾倒。代表作に「窓外の化粧」(神奈川県立近代美術館蔵)や「海」(東京国立近代美術館蔵)がある。
彼の作品はキュビスム(フェルナン・レジェなど)、シュルレアリスム、クレーなど西洋の多くの美術動向や画家の影響を受け短期間のうちにその作風は変転している。
なお「海」(1929年、二科会16会展出品)に続く数年間の彼の作品は一般に日本におけるシュルレアリスム絵画の嚆矢とされており、以降の日本の美術に大きな影響を与えている。
しかし例えば「海」などはモンタージュ技法を積極的に用いたモダニズムの絵画であるともいうことができ、必ずしもフランスのシュルレアリスムと共通した思想的な根拠(フロイト流の無意識の重視など)がないことから古賀独自の(日本的な)超現実主義との評価がある一方でシュルレアリスムであるとの評価に疑問を呈する者もいる。
1933年9月、阿部金剛、東郷青児、峰岸義一らと「アヴァンガルド洋画研究所」を設立するが、古賀は直後に逝去する。
生地の善福寺はその作品を寺宝に有しており、境内には石井柏亭の碑銘による墓碑がある。