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村山 槐多(むらやま かいた、1896年9月15日 - 1919年2月20日)は、大正期の洋画家。男性。
10代からボードレールやランボーに読み耽り、詩作もよくした。その早熟さ、デカダン的な生活、貧しさや失恋による心の痛みなどにより、結核性肺炎を患っていた。また、22歳の若さで夭折した点まで同時代の関根正二とよく比較されるが、2人の作風は全く異なっている。
画家自身のほとばしる情念や不安を反映した村山の人物像は、器用ではないが、一度見たら忘れられない強烈な印象を残すものである。画家の山本鼎は従兄。
大正8年2月そのころ猛威を振るっていたスペイン風邪にかかり、寝込んだ。2月19日夜9時ごろ、みぞれまじりの嵐のなかを外に飛び出し、午前2時頃畑の中に倒れているのを発見された、取り押さえられた彼は失恋した女性の名など、しきりにうわごとを言っていたが、2時30分息をひきとった。
若年で病没した画家としては比較的多くの作品を残している。全体として、決して技巧的ではないものの、原色を多用した、けばけばしいとさえいえる筆致を特徴とする。『庭園の少女』『バラと少女』『湖水と女』などの女性像や、『朱の風景』『信州風景』『松の群』などの風景をモチーフとして好んだ。その他、托鉢に放尿する裸の僧侶を赤を主調として描いた『尿する裸僧』は、見る者に異様な情熱を感じさせる、もっとも村山槐多らしい作品として知られている。
とはいえ、実質的に画家として活動した期間が約5年足らずであるため絶対的な作品数は少ない。その関係から、現在残されている作品にはかなりの高値が付いており、過去に『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)に村山の作品が登場した際には3,000万円の評価額が付けられたこともある(しかもこれは「オークションでのスタート金額」としての評価であり、番組では「実際には億単位になる可能性もある」とのコメントも残された)。
詩集『槐多の歌へる』は村山槐多の死後、友人たちによって編集、出版された。収録された作品は、絵と同様、技巧的というよりも若々しい情熱と率直さに満ちたものである。草野心平の詩人としての成り立ちに大きな影響を与えているが、一般的には、その絵画と比べると一段低く評価されている。
未完のものも多いが、短編「悪魔の舌」は幻想怪奇小説のアンソロジーなどに多く収載されている。