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野田 弘志(のだ ひろし、1936年 6月11日- )は、日本の画家。近縁の画風で知られる中山忠彦、森本草介とは同世代で交遊も深い。
野田は、凡そ10年単位でその個人様式を大きく転換させるという特徴的な変遷を見せる。しかしその核心は一貫しており、徹底した細密描写を中心とする粘り強いリアリズム表現が際立つ。1992年以降は低彩度の明るい色(ライトグレーや白)を中心としており、安定している。
1970年代から1997年頃まで、藤田吉香にも似た、シンプルな大面積の背景を特徴として画面を構成してきた所があるが、近年では、大面積でシンプルな背景は影を潜めている。
1970年から絵画制作に専念し先ず制作された絵画は、黒い背景によって特徴づけられる絵画である。批評等で頻繁に取り上げられる、『やませみ』 (1971) や麦を描いた『黒い風景 其の参』 (1973) はこの時代の作品である。
黒い背景といっても一様に同じ色ではなく、文理の目立ったもの、雲を描いたもの、素材に変化を持たせて光沢を大胆に変化させ対比させたものなどがあり、多様性に富んでいる。
1980年代に特徴的なのは、黄金色の表現である。その萌芽は70年代の作品にも見出せるものの、金箔による黄金背景や、黄赤系統の絵具による一面を覆う黄金色の物体の表現は、この時期の特徴である。
1983年から加賀乙彦作『湿原』の新聞連載の挿絵の原画を鉛筆を用いて制作する。その入念で細密な完成度の高い鉛筆画は、高く評価される。この時期の徹底的に鉛筆に打ち込んだことが、この後の画家の油彩画を更なる高みに押し上げたとも言われる。
その後の『ヴィーナスの笑くぼ』、『松風の家』では、茶道具や人間など、『湿原』とは趣の異なる対象を描いている。
1990年代以降の代表的な作品群は、白やグレーを基調色とする壮大な連作である。概ね、21世紀に入ってからは明るいグレーの作品が多くなっている。同時期の、小品では暗いグレーも多用されている。絢爛な色彩の薔薇の作品も多数描かれている。
1991年に駝鳥の卵、骨、磁器、ガラス器を組み合わせ描いた『TOKIJIKU(非時)I Egg』を始めとして、画家に時間の集積と生命の形相を意識させる骨を中心とし、広い空間を扱った大画面が特徴的な、一段と意識の高い作品群である。
大半の絵画の基調色はグレーであるが、『TOKIJIKU(非時)II Fossil』、『TOKIJIKU(非時)III Macaca Fuscata』、『TOKIJIKU(非時)IV Sea Lion』、『TOKIJIKU(非時)XI Sphere』は、褐色系統を基調色としており、他の非時とは趣を異にしている。
現在、『TOKIJIKU(非時)XXIV』まで確認されている。第1回巨匠展に出品された『TOKIJIKU(非時)XXIV』は、画集には未だ採録されていない。
1997年、白を基調色として、胎児のような姿勢の裸の女性を描いた『THE - 1』、黒を基調色として、下方を見つめる裸の女性の座像を描いた『THE - 2』、そして1998年、暗色を基調とし着衣の女性を描いた『THE - 3』の正方形の3作によって始まったシリーズである。非時とは打って変わって、動物の骨は影を潜め、生きた人間が描かれる。
当初は、人間を描くシリーズとして姿を現したが、『THE - 6』、『THE - 7』、『THE - 9』では、一転して人間を描かず、ロープや金具、幾何学形体が描かれる。確固たる地位を築いた画家のこの挑戦的な態度に、美術評論家の米倉守は賛辞を呈している。両者の中間に当たる作品としては、人間を描き、鳩を描き加えた『THE - 4』がある。 なお、『THE - 5』、『THE - 8』、『THE - 10』では、外国の女性を描いており、画家の油彩画に対する新たな解釈が伺われる。
2009年、ダークグレーを基調色として、外国の女性の着衣立像を描いた『聖なるもの THE - I』によって始まったシリーズである。野田は胎児、子供、老人、死体といった人間ばかりを描く、としている。
写真を「メモとして」使用することを認めつつも、絵画と写真の差異を強調し、特に初心者が写真を見て描くことにより、様々な勘違いがうまれること、より重要な内容が身に付かないことに警鐘を鳴らす。
絵画の本質をリアリズムと捉え、その頂点にイタリア・ルネサンスのレオナルド・ダ・ヴィンチを据える。その後もレンブラント・ファン・レインやドミニク・アングルなどの巨匠は存在したものの、レオナルド以後の絵画の歴史を衰退の歴史と捉える。その原因として徒弟制度が無くなったこと、時代の進度の加速を挙げる。
しかしながら他方では、「本当の新しい仕事」として、ポール・セザンヌ、モンドリアン、ジャスパー・ジョーンズの業績には一定の理解を示している。 同時代の画家では、アントニオ・ロペス・ガルシアを非常に高く評価する。特に、『浴槽の女』(1968)はロペスの作品のなかでも屈指の傑作との評価を下している。
野田自身は研究しなかったものの、ヨーロッパの古典的な絵画の技法が水性の塗料(水性の絵具)の上に油性の塗料(油絵具)を重ねることによって成立するものであることを認め、近年の日本におけるこの研究に対して一定の関心を示すと共に、大学における研究と実践に携わる者として、田口安男や絹谷幸二、佐藤一郎を挙げる。しかしながら、テンペラによる表現は全て油絵具で出来るとして退ける。
また、野田自身が経験して来たことを認めつつも、食べて行く為の絵画と自己の研究の為の絵画を分けることを、日本に特有のダブルスタンダードである と指摘し、本音と建前の二重構造を許容するこの日本の習慣が甘えを生み、現代日本の絵画が世界的に評価を得られない理由になっているとして批判する。