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堀 文子(ほり ふみこ、1918年7月2日 - )は、東京都麹町区平河町(現・千代田区)生まれの日本画家。
女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科日本画部卒業。女子美術専門学校在学中の1938年に第2回新美術人協会展入選。1940年に女子美術専門学校を卒業し新美術人協会会員になる。画家としての活動のほか、『キンダーブック』(フレーベル館)、『ふたば』などで挿画、装幀を描く。
29歳のときに外交官の男性と結婚、43歳のときに夫と死別。1961年から1963年にかけ世界放浪の旅へ出る。旅の中でアンフォルメル、シュルレアリスムの影響を離れ、日本画の持つ色彩や顔料の美しさに回帰する。1967年に神奈川県大磯に転居。
1974年、創画会の結成に参画。1974年から1999年まで多摩美術大学日本画科教授として日本画の指導にあたる。
1981年に軽井沢にアトリエを構える。1987年にイタリアアレッツォにアトリエを構える。1992年にアレッツオ市で堀文子個展を開催。1995年にアマゾン川、マヤ遺跡・インカ遺跡へスケッチ旅行。1999年に創画会を退会。
2000年、82歳のときに幻の鉱山植物ブルーポピーを求め、ヒマラヤ山脈の高地を走破(「アーティストたちの挑戦 ヒマラヤ 高き峰をもとめて 日本画家 堀文子」(NHK収録/放送、2000年)。2001年に病に倒れて以降、長期間の取材旅行に出かけられなくなったことから微生物に着目し、海中に生きる命をモチーフとする作品を発表。これらの作品は画文集や個展で発表されている。
自然の中に存在する命をモチーフとする作品が多く「花の画家」と呼ばれることもある。日本画のほか、装幀、随筆でも多くの作品を発表している。