ニキ・ド・サンファル

(Niki de Saint Phalle)

作品

ニキ・ド・サンファル『ファウンテン・ライフセイバー』ドイツ、デュイスブルク。廃物を組み立てて作ったティンゲリーの黒い立体作品の上に、ニキの鮮やかな作品が立つニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファル『ナナ』ハノーファーニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファルニキ・ド・サンファル

※モニターにより実際の色とは異なって表示されます。

ニキ・ド・サンファルについて

ニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle, 1930年10月29日 - 2002年5月21日)は、フランスの画家、彫刻家、映像作家。本名カトリーヌ・マリ・アニエス・ファル・ド・サンファル(Catherine Marie-Agnes Fal de Saint Phalle)。

生涯

パリ生まれ。母はフランス人、父はアメリカ人。1933年に家族そろってアメリカ合衆国に移住した。アメリカでは転学を繰り返すが、在学中よりモデルとして活動している。

1949年、後に作家となる幼なじみのハリー・マシューズ(Harry Mathews)と親の反対を振り切って結婚(1960年に離婚)。

正規の美術教育は受けていないニキであったが、1952年にパリへ戻って以降、作家たちと交わるようになる。1953年に精神療法の一環として絵を描き始める。南欧旅行で美術館や建築に接した感銘が、彼女の作家志望をかきたてたともいわれる。ニキの初期の作品はハノーファーのシュプレンゲル美術館に多く収蔵されている。若描きとはいえ、のちのナナ・シリーズに代表されるようなニキ作品を十分に予告するものとなっている。

離婚後、ジャン・ティンゲリーと暮らすようになったニキは、1961年に「射撃絵画」の発表で、一躍ヌーヴォー・レアリスムの重要なメンバーと認められるようになる。センセーショナルなデビューを果たしたニキであったが、「射撃絵画」からは急速にはなれ、立体作品に傾斜しはじめる。

1965年、パリで最初の「ナナ」が展示される。いびつに太った大柄女性が踊っているかのような風変わりな造形は友人の妊婦の姿からヒントを得たとされる。そのユニークなフォルムは、原色を多用した斬新な彩色とともに、その後のニキのトレードマークとなり、世界各国の広場などに設置された。

1971年にティンゲリーと結婚。1974年にハノーファーに『魔法の洞窟』開設。

1982年、ポンピドゥー・センターに隣接するストラヴィンスキー広場の『自動人形の噴水』をティンゲリーと共作。

1994年、カリフォルニア州サンディエゴに移住。ニキのコレクター、増田 Yoko 静江のプライベート・コレクションをもとにニキ美術館が那須高原に開館。

1998年、構想から24年を費やしたタロット・ガーデンがイタリアのトスカーナに開館。ニキ美術館の招請により初来日。

2000年にハノーファーの名誉市民となる。2002年にサンディエゴにて71歳で没する。

ニキ・ド・サンファルの作品所蔵美術館