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菱川 師房(ひしかわ もろふさ、生年不明 - 享保2年(1717年7月12日)は、江戸時代の浮世絵師。
菱川師宣の長男。俗称、吉左衛門、後に吉兵衛。父に浮世絵を学び、貞享から元禄期、好色本の挿絵、肉筆画などを残している。画風は、師宣風に忠実だが、少し小柄な感じを受ける。元禄7年(1694年)父師宣の死後、しばらくは菱川工房を率いて活躍したが、後に元禄10年(1697年)頃には画業を捨て、紺屋を始めた。
肉筆画の代表作として、「三美人図」(出光美術館所蔵)、「婦女読書図」、「美人遊歩図」(以上、浮世絵太田記念美術館所蔵)、「伊勢物語図」(ニューオータニ美術館所蔵)、「見返り美人図」(奈良県立美術館所蔵)などが挙げられる。
「美人遊歩図」や「見返り美人図」の女性の衣装模様に、大和絵風の細密な色紙絵があしらわれているのは、興味深い点である。何れの作品も画風は父の風を承けて形式的に整備した師房の真摯で誠実な作風を良く示している。
殊に「美人遊歩図」は均一な線で引かれた衣紋線が人物のフォルムを的確に写し出し、衣服の模様書きも丹念で、かつ気品と風格に富む作品に仕上がっている。
また、師房は艶本『好色にせむらさき』5冊及び元禄13年(1700年)刊行の浮世草子『好色一もとすゝき』5巻5冊(桃の林紫石作)の挿絵を描いている。
師房という名前は父である師宣が、安房国から「房」の字を取ってつけたということから相当期待されていたと思われる。師房は早くから父について絵を学んだようで、貞享4年(1687年)刊行の『江戸鹿の子』に師宣と並んで浮世絵師としてその名前が挙げられている。
なお、師房には二人の子がいたが、何れも絵師にはならなかったという。長男は佐次兵衛・重嘉といい、次男は弥右衛門といった。法名は孤宿山魏峰信士。