ジャン・オノレ・フラゴナール

(Jean Honoré Fragonard)

作品

ジャン・オノレ・フラゴナール『ぶらんこ』1768頃 ウォレス・コレクション(ロンドン)蔵ジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナール『読書する娘』1775年頃、ワシントン・ナショナルギャラリー収蔵)ジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナール『閂(かんぬき)』1780年、ナショナルギャラリー (ロンドン)収蔵ジャン・オノレ・フラゴナール『ヴィーナスの目覚め』ジャン・オノレ・フラゴナール『恋人の戴冠』ジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナールジャン・オノレ・フラゴナール

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ジャン・オノレ・フラゴナールについて

ジャン・オノレ・フラゴナール(Jean Honoré Fragonard、1732年4月5日 - 1806年8月22日)は、ロココ期のフランスの画家。

西洋美術史において、18世紀はロココの世紀であった。フラゴナールは、その18世紀の後半のフランスを代表する画家である。フランス・ロココ美術の典型的な画家であるとともに、時代の変化のなかで、ロココ時代の最後を飾った画家ともいえる。

生涯

1732年、コート・ダジュール(南フランス)のカンヌに近いグラースで、皮手袋製造業を営むイタリア系の家庭に生まれた。1738年、家族とともにパリに出て、シャルダンとブーシェという、作風の全く違う2人の巨匠に短期間ではあったが師事した。20歳の時にローマ賞(フランスのアカデミー主催コンクールの1等賞で、受賞者は国費でローマ留学ができた)を受け、ローマで学ぶことになる。

1767年頃、画家としての絶頂期に描かれた『ぶらんこ』は、庭園に設けられたぶらんこに乗る若い女と、それを低い位置からのぞき見る、愛人の貴族男性を描いたものである。ひとつ間違えば下世話になりかねない主題を品良く描いている。

しかし、ロココ絵画のこうした軽薄な画題は、ディドロらの百科全書派の批判を招いた。そして、1789年のフランス革命による体制の大変革とともに、時代の好みも変わり、ロココ美術も次第に下火になっていった。フラゴナールは、19世紀まで生き延びるが、晩年はルーヴル宮殿の収蔵品の整理などをしながら、失意と貧困のうちに亡くなったという。

代表作

  • 読書する娘(1775年頃、ワシントン・ナショナルギャラリー収蔵)
  • 閂(かんぬき)(1780年、ナショナルギャラリー (ロンドン)収蔵)
  • ヴィーナスの目覚め
  • 恋人の戴冠
  • 恋の成り行き(4連作)(1771~73年頃)(ニューヨーク、フリック・コレクション)
  • シーソー(1755年頃)(マドリッド、ティッセン=ボルネミッサ美術館)
  • Blind-Man's Buff(1755年頃)(トレド、トレド美術館)

ジャン・オノレ・フラゴナールの作品所蔵美術館