フランチェスコ・フランチャ

(Francesco Francia)

作品

フランチェスコ・フランチャ『キリストの洗礼』(1509年) ドレスデン、アルテ・マイスター絵画館蔵フランチェスコ・フランチャフランチェスコ・フランチャフランチェスコ・フランチャフランチェスコ・フランチャフランチェスコ・フランチャフランチェスコ・フランチャフランチェスコ・フランチャ

※モニターにより実際の色とは異なって表示されます。

フランチェスコ・フランチャについて

フランチェスコ・フランチャ(Francesco Francia)ことフランチェスコ・ライボリーニ(Francesco Raibolini, 1450年頃 - 1517年1月5日 )は、イタリア、ボローニャ出身の画家、金細工師、メダル意匠家、さらに市の貨幣鋳造所の所長でもあった。

フランチャはマルコ・ゾッポの下で修行した。最初に画家として名前が出てくるのは1486年のことである。最も初期の作品として知られているのは、『フェリチーニの聖母』で、そこには1494年の日付がある。ロレンツォ・コスタと協力して仕事をし、コスタやエルコレ・デ・ロベルティの作風の影響を受けた。1506年には、既にマントヴァの宮廷画家になっていて、その時には、ペルジーノやラファエロの影響がより強かった。

弟子の中には、マルカントニオ・ライモンディなどがいたが、ジョルジョ・ヴァザーリによると、ライモンディは、フランチャのニエロ象眼の制作で初めてエングレービングを教わったが、すぐに師匠の腕を追い抜いたということだ。また、ラファエロの『聖セシリア』は、フランチャに激しく劣等感を起こさせ、そのせいでフランチャは鬱病にかかって死んだのだと言われている。

息子のヤコポ・フランチャとジュリオ・フランチャも画家である。

フランチェスコ・フランチャの作品所蔵美術館