東月堂文鶴

(とうげつどう ぶんかく)

東月堂 文鶴(とうげつどう ぶんかく、生没年不詳)は、江戸時代初期の浮世絵師。

来歴

奥村政信の門人と思われるが、未詳。姓名不詳。東月堂、万徳斎、文鶴と号す。寛保(1741年 - 1744年)から延享(1744年 - 1748年)頃、肉筆浮世絵を描いている。人形浄瑠璃の出語りの舞台を描いた金粉散らし極彩色の屏風「人形芝居女鉢木雪之段」1点が知られるのみである。その画風は奥村政信の風を追ったものであった。落款には「倭繪一流東月堂萬德齋文鶴圖畫」とある。

政信の門人であるかもしれないが、あるいは政信の追随者が、芳月堂に対し東月堂、文角に対し文鶴と紛らわしい名をつけたのかもしれない。その画技がかなり優れていることは、6曲屏風を描きこなしていることによっても知られる。

作品

  • 「人形芝居女鉢木雪之段」 紙本着色 6曲1隻 フリーア美術館所蔵

東月堂文鶴の作品所蔵美術館